Oshoの言葉
いつも今にいる
人生にゴールはない
人生そのものがゴールだ
あるターゲットに向かって進んではいない
人生は、今 ここ、
人生に未来にはない
人生はいつも今にある
Osho
いつも今にいる
Always in the Present
Present というのは瞑想の状態の一つとして
使われますが、翻訳には苦労する言葉です。
辞書的には、以下のような意味があります。
・存在している、そこにある
・出席[出勤・参列]して、居合わせて◆【反】absent
・現在の、現行の、今の、目下の、当面の◆【対】past ; future
・《文法》現在時制の
・存在感がある
今にいる(Present)、とはどういう意味なのか。
今にいるためにどうすればいいのか、
ということは、これまでOshoの言葉を
読んできた人にはよくわかると思います。
そして、それがどれだけの深みのある言葉なのか、
ということもわかると思います。
> 人生にゴールはない
> 人生そのものがゴールだ
私たちは「今」(present)にいるのではなく、
マインドに住んでいます。
マインドは、いつもゴールを求めています。
馬が人参を追いかけるように、
マインドはゴールを追いかけるようにできています。
逆にいえば、ゴールがなければマインドが動きません。
そこに大きなジレンマがあります。
私たちは、この現実の世界を生きるためには、
マインドが必要です。
頭を使って考えることが必要です。
この現実の世界、文明は、
マインドによって作られ、進歩してきました。
ゾルバを生きるためには、
マインドも使う必要があります。
そのためには、ゴールを定めることが必要です。
未来に向かって進む必要があります。
しかし、
瞑想は違います。
瞑想にはゴールがありません。
瞑想には、今ここがあるだけです。
瞑想の中で人生を生きることは、
人生そのものがゴールということになります。
> 人生そのものがゴールだ
> あるターゲットに向かって進んではいない
> 人生は、今 ここ、
これが24時間を瞑想の中に生きるということです。
> 人生に未来にはない
なんていうと、マインド的観点からは、
絶望しかないことになりますが、
瞑想的観点からは、真逆の意味になります。
> 人生はいつも今にある
それが、タオによる生き方です。
老子の生き方です。
先日、連休のときにラハシャ博士の
「存在とともに生きる」という
タオ(老子)の講義(ワークショップ)が
ありましたが、
それはまさに、
> 人生はいつも今にある
ということについてでした。
ラハシャ博士のコンシャスリヴィングを
受講した人や、
ラハシャの「瞑想」についてのオンラインを
受講した人は、「presence」についての動画があるので、
それをもう一度復習してみると、
このOshoの言葉を理解しやすくなると思います。
もうひとつ、このOshoの言葉を
理解するヒントは、
マインドとハートについての
Oshoの言葉を思い出すことです。
それは、マインドそのものが悪いのではなく、
マインドが主人となること、
マインドに使われることが間違いであること。
ハートが主人となり、
マインドはハートによって使われるべきものであることが、
語られています。
ハート瞑想とともにマインドを使い、人生を生きることが、
> 人生はいつも今にある
ということの体験にもなるでしょう。
今日の瞑想は、
Always in the Present
いつも今にいることです。
今日はここまでにします。
えたに