至福の値段

Oshoの言葉

至福の値段

世間の人は 勝手な解釈をする
そうでなければ
わたしの至福はいくらでも手に入る

価値のわかる人なら
繊細に感じとることのできる人なら
受け取ることにオープンな人なら
誰にでもだ
値札はついていない

だが 料金を払わない限り何一つ
理解できない人たちがいる
そういう気の毒な人たちのために
あらゆるものに値段をつけているのだ
慈悲ゆえのことだ
   Osho

これはアメリカでの記者との
インタビューシリーズの一つです。

「なぜ至福を売る必要があるのでしょうか? 
それはタダではないのですか?」

というのがこの記者の質問です。

こういう質問をする人がいるのですね。

なるほど、
こういうふうにしか考えられない人がいるのだ、
ということは大きな発見でした。

というか、そのようにしか物事を
見ることができない人は多くいるのだと思います。

Oshoはこのインタビューに答えて、
お金について、
そしてものごとのの価値について
とても本質的なことを話しています。

> 価値のわかる人なら
> 繊細に感じとることのできる人なら
> 受け取ることにオープンな人なら
> 誰にでもだ
> 値札はついていない

本当にそうなのです。

> 繊細に感じとることのできる人なら
> 受け取ることにオープンな人なら

Oshoはその至福を、その愛を
ただ与え続けています。

それを受け取る感受性があるかどうか
だけの問題なのです。

> 慈悲ゆえのことだ

このひとことの意味を
この記者は受け取れなかったでしょう。

このOshoの話を聞きたい方は
過去のブログで紹介しています。
https://oejbooks.com/2015/02/10/bliss-price-of-osho/

 

今日はここまでにします。

えたに