月とOshoと道元

このOshoの「道元」のシリーズは満月に捧げられました。

Oshoはチャンドラ・モハン・ジャインとして生まれ、1960年代にインド各地で遊説していたときにはアチャリヤ・ラジニーシとして知られ、1970年代弟子をとりマスターとして活動する頃にはバグワン・シュリ・ラジニーシと知られるようになりました。

アチャリアとは教師という意味があり、バグワンとは聖なるという意味で、インドでは最高の尊称でとされています。

Oshoは教師(アチャリヤ)として大衆に語り、多くの人が彼に惹きつけられて、彼のメッセージを聞く準備ができた人を弟子とするようになってからは、マスター(バグワン)としてのワークをしたのです。
そしてOshoは、この講話の後、1989年9月以降は「和尚」(OSHO)としてのみ知られることになりました。

それはともかく、Oshoの名前チャンドラとは「月」という意味があり、ラジニーシとは「月の王」という意味があります。
Oshoも月を愛してやまない人であったに違いありません。

道元は、宝慶寺の「月見の像」の絵でも有名なように、月を愛した人でもありました。
そして、このOshoの「道元」の講話は次のような言葉から始まりました。

「マニーシャ、これは満月に捧げられる、
 新しい講話シリーズの最初の日だ。
 月は太陽の熱い光線を、涼しい、平和な、美しい光線に変容する古の象徴だ。

 月そのものには何もない。
 月を見るとき、人は太陽の光線を反射している鏡を見ているにすぎない。
 月に反射された光線は、ちょうど太陽が川に反射するときに見える光線のようなものだ。

 月は鏡だが、ただの鏡ではなく、変容を起こさせる媒体でもある。
 それは熱戦を、涼しい、平和な光線に変える。
 それが、月が東洋で最も重要な象徴となった理由だ。
 このシリーズは満月に捧げられる。

 このシリーズでは、たぐい稀なる禅師のひとり、
 道元を取り上げることにしよう。
 
この経典に入る前に、道元についていくらか知っておいた方が良いだろう。
 
その背景を知っておくことが、彼の凝縮された経典を理解する助けとなる」

そして、Oshoは「正法眼蔵」の有名な経文について、次のように語ります。

「道元はこう書いている。

 仏道を学ぶということは、自己を学ぶということである。

 さぁ、これは途方もなく価値ある言葉だ。
 
彼はこう言っている。
「道について尋ねるな。道などない」と。

 仏道を学ぶということは、
 自己を学ぶということである。

 道は連れ去る。
 遠くへ探求すればするほど、ますますあなたは道に迷う。
 
行くことをすべて止め、ただ何もすることなく、家にとどまりなさい。 
 。。。。。。

 仏道を学ぶということは、自己を学ぶということである。

 道のことなど構わないでいなさい。
 
ただ自分自身を学ぶがいい。

 自己を学ぶということは、自己を忘れることである。

 誰が自己を学ぼうとしているのかね? 
 自己を学ぼうとする者は、すでに自己を落としている。
 
自己を学んでいる者は、観照者(ウイットネス)、あなたの真の自己なのだ。

 自己を学ぶということは、自己を忘れることである。
 
自己を忘れるということは、すべてのものに悟らされることである。

 そうなれば、あなたがどんな状況にいようとも問題ではなくなる。
 
いかなる状況にあっても、あなたは悟らされる。
 
想像の及ぶ限りのあらゆる状況のもとで、人々は悟りを得てきた。

 問題は自己が脱落しているかどうかだ。
 
そうなれば、木を切っていようが、井戸から水を運んでいようが、問題ではない。
 
自己がいない瞬間、ただ観照しているだけとなり、沈黙した注意深さのみがあるとき─
 あなたはすべてのものによって悟らされている。

 すべてのものに悟らされているということは、
 
自己と他己との障壁を取り除くことである。
 
悟らされるということは、私も存在せず、あなたも存在しないということだ。

 存在するものは、我も汝も超えたもの、
 
それ以上のもの、さらにもっと大きくて高いものだ。

 悟りのあとかたさえ残さず

 この小さな一節の中で、
 彼は非常に多くのことを凝縮している。
 一つ一つの節が一冊の教典になることができただろう。

 悟りのあとかたさえ残さず
 
あとかたのない悟りを日常の生活の中でいつまでも行い現していく。

 ひとたび悟りを得れば、自分は悟っているのだと、
 毎日思い出さなければならないようなものではなくなる。
 。。。。

 ひとたび悟りを得れば、あらゆる行為は自然に気づきのある、
 意識的なものとなる。
 
すぐにあなたは悟りについてのすべてを忘れてしまう。

 悟りはあなたの身体、あなたの骨、あなたの血、
 あなたの骨髄そのもの、あなたの実存そのものとなっているからだ。
 
そうなると、それを思い出す必要はない」