光明の味わい

Oshoの言葉

光明の味わい

実に 光明を得ることより
美しく、至福に満ちたことはない

それについて語ることさえ
遥か彼方のこだまでさえ
その影でさえだ

水に映った月は 
本ものの月ではないが

それでも 
そこにはとてつもない美がある

もし 
あなたのマインド
という水が静まったなら 

そこに映り込んだ月にも
全く同じことが言える

それはあなたの体験ではないが
愛する誰かの体験だ
あなたの信頼する誰かの体験だ

そしてただ 
あなたが愛し、
信頼するという理由から

あなたはその体験を 
精妙な方法で共有し始める

それについて何かいうのは 
実に難しい一

生涯 私はそれについて
語っているにも関わらず 
ただそれについてだけだ

他の事について語っているときでさえ
私はそれを 
あなたを光明の理解へと
向かわせるために語っている
        Osho

先日、Oshoの「招待状」について
ご紹介しました。

それは、
光明を得ることへの
招待状でした。

でも、光明を得る、って
そもそもどういうこと?

光明を得るというのは
悟りを得ることですが、

その悟りを得るって
どういうことなのか?

悟りを得たところで、
いったいそれはどういうことなのか?

そもそも、
どうして悟りを得なければならないのか?

そんな悟りを得ることなんて
何の興味もない、

っていう人もおられるでしょう。

実は、
私がなぜ悟りに興味を持つよいうになったのか?

ということさえ、
本当のことはわかりません。

いろんな理由をつけることはできますが、

あるとき、
仏陀に会いたいと思うようになり、

Oshoの本を読んだ時に

「この人は仏陀だ!」

と思って会いに行ったのでした。

ただそれだけのことでした。

そこでOshoに魅せられてしまったわけですが、

何に魅せられたのか?

それは光明の味わいだったのだと
このOshoの話を聞けばわかります。

仏陀とOshoに共通するもの。

それは光明の味わいです。

でもそもそも、
どうしてそのような光明に惹かれるのか?

それは何か、
やむにやまれぬ衝動のようなものだと感じます。

それについて語ると長くなるので、
書きませんが、

ひと言で言うと、

おそらくそれは、

宇宙の究極の目的が、
そこにあるからなのだと思います。

仏陀が到達した悟りは、
人類の意識の進化の究極の開花であり、

宇宙が人類を誕生させた、
その究極の目的は、

意識を持つにいたった人間が、
その意識を開花させることであり、

その意識の究極の進化が、
悟りを得ること、
光明を得ることではないか、

と感じます。

でもその光明を得たことがなければ
それがどういうものかがわからない。

そこで、試食じゃないですが、
その光明を味わう機会、

それが仏陀の存在であり、
Oshoの存在であるわけです。

では、その光明の味わいって、
一体どういうもなの?

ということについてのお話が、
今回のOshoの言葉です。

> 実に 光明を得ることより
> 美しく、至福に満ちたことはない

ということなのです。

その味わいを味わってみたい方は
それについて語っているOshoの動画を、
過去のブログで紹介しています。
https://oejbooks.com/2015/01/20/taste-of-hope/

今日はここまでにします。

えたに