ゾルバは愛、ブッダは気づき

ゾルバは愛、ブッダは気づき

あなたが言っていることはまったく正しい

気づきは向こう岸へ渡る船で
愛は帰って来るための橋
人生という名の川の土手をつなぐ

これはたいへん意味深い声明だ
あなたのいう聖人たちは
道半ばまでしか行っていない

彼らはあるレベルの結晶化
あるレベルの気づきを
得たかもしれないが

彼らは帰ってくることが
できないでいるのだ

かつての岸辺へと
愛のシャワーを携えて

聖人は愛なしでは半人前だ
愛の人も気づきなしでは
同じく心半分で生きている

あなたがたのいう聖人たちは
愛を抑圧している
いわゆる愛の人たちは
気づきを抑圧している

私はあなた方に両方で
あってほしいのだ
気づきと愛の それで 
はじめて人生という
円環が完成する

          Osho

これはゾルバ・ザ・ブッダについての
Oshoの言葉とも解釈できます。

この言葉は、以下の質問に対して応えられたものです。

「気づきは向こう岸へ渡る船で、
愛は帰って来るための橋なのでしょうか? 
人生という名の川の土手をつなぐ」

愛と瞑想(気づき)は
別の見方をすれば、
ゾルバ・ザ・ブッダの別の表現とも言えそうです。

ゾルバというのは、
カザンザキスの小説で、
アンソニークイーンの主演映画でも有名になった
ギリシャの「その男ゾルバ」(Zorba the Greek)
のゾルバで、享楽的にこの俗世に生きる
ゾルバの生き方を象徴した生き方を意味します。

その場合は
セックスを含んだ、この世的な
関係性での愛のことを意味します。
それは気づきのない愛である場合がほとんどです。

しかし、ここでのOshoの言葉では、
仏陀の気づきと対をなす愛ですので、
気づきのある愛、
コンパッション(慈悲)としての愛を意味します。

愛にもいろんな次元、
いろんなレベルがあります。

この気づき(瞑想)と愛という場合の愛は
ゾルバの愛というよりも仏陀の慈悲(無条件の愛)
を意味します。

愛とはこの世に根ざすための
ものでもありながら、
気づきを伴うことで、
慈悲(コンパッション)の愛と
なっていきます。

> 気づきは向こう岸へ渡る船で、
> 愛は帰って来るための橋なのでしょうか? 
> 人生という名の川の土手をつなぐ

人生という川は、

気づき(瞑想)と愛の両岸の間を
流れる川のようですね。

このOshoの講話を聞きたい方は
過去のブログで紹介しています。
https://oejbooks.com/2015/02/04/zorba-love-buddha-noticed/

それでは今日は、ここまでとします。

えたに