ブッダの慈悲とは?

ブッダというのは目覚めた者、悟りを得た人のことを言います。

仏陀とかキリストとかOshoとか。

そういう人たちの言っていることというのはすぐにはよくわからないことがあります。

仏陀は、「この世は幻想に過ぎない」と言ったりしますが、「いやいや、この肉体もこの世の中も現実だし」と私たちは思います。

よく覚者は、「あなたたちは眠っている」ということを言います。だから覚者(目覚めた者)というのでしょうが、でも、私たちとしては、「いやいや、起きて目も覚めているし」って思います。

一体この差はどこから出てくるのでしょうか?

私たちは自分の色眼鏡でしか物事を見ることはできません。人それぞれの色眼鏡をかけているので、人それぞれが自分の色の世界を見ています。

あるいはまた、同じ現実を見るにしても、見る視点によって風景の見え方が全く異なります。

地上に立って風景を眺めるのと、10階のビルの屋上から眺めるのと、スカイツリーから眺めるのと、あるいは飛行機から眺めるのとでは、同じ場所、同じ時間の同じ風景でも、見える景色は全く異なって見えます。

本を読んだり、人の話を聞くことは、そのような様々なものの見方を学べるところです。

視点が違えば世界を見る目が違ってくるので、人生の幅や可能性が広がっていきます。

Oshoの話の感心するところは、話の引用や例えが非常に巧みで、その話を聞くことで、今の自分の状況がとてもシンプルにわかりやすくなるところです。

パルーシー教の小話がある――

盲目の男とその友人が、
砂漠を横断していた。
彼らは別々の旅に出ようと
していたが途中で出会い、
一方の男が盲人の男に道連れに
ならないかと誘ったに違いない。

彼らは幾日間かともに過ごし、
そのあいだに友情は深まった。
ある朝、盲人の男は
友人よりも早く起き、
自分の杖を探して
あたりを手探りした。
砂漠の夜で、とても寒かった。
冬だったのだ。

杖は見つからなかったが、
寒さのせいで硬直した蛇がいた。
そこで盲目の男は
それを拾い上げると、
神に感謝して
「わたしは杖をなくしましたが、
あなたはいま、もっと上等で
滑らかな杖を下さいました」
と言った。

彼は神に感謝を棒げて言った。
「あなたはとても慈悲深い」

そして彼はこの杖で友人を突っつき、
「起きたまえ、朝だよ」
と言って起こした。

友人は目覚めると蛇を見た。
彼は怖じ気づいて言った。
「何を握っている?早く捨てろ
そいつは蛇だ、危ないぞ!」

盲目の男は答えた。
「友よ、君は妬ましさのあまり、
わたしの美しい杖を
蛇呼ばわりする。
自分が手に入れるために、
わたしにそれを捨ててほしいのだ
――わたしは盲人かもしれないが、
馬鹿ではないぞ」

友人は答えた。
「君は気違いか? 
気でも狂ったか? 
すぐにそれを投げ捨てろ! 
そいつは蛇だ、危ない―」

しかし盲目の男は言った。
「君は何日もわたしと一緒に
過ごしてきたのに、
わたしがどんなに賢いか
まだわかっていないようだ。
わたしは杖をなくしたが、
いま全能の神がもっと美しい
杖を下さった。
なのに君はそれを蛇だと言って、
わたしを馬鹿にしようとしている」

盲目の男は、
友人が嫉妬し妬んでいると考え、
腹を立てた。
そこで一人で出発してしまった。

しばらくすると日が昇り、
蛇は暖まって息を吹き返した。
もう寒くはなかった。
そして、蛇は盲目の男に噛みついた。

わたしの言う痛みは、
盲人の男の友人が、
自分の友に感じた痛みと同じだ。
彼と同じように、
わたしは周りにいる人々に
痛みを感じている。

どの人も、手に杖でなく
蛇を携えている。
しかしわたしがそう言ったら、
いったい何を妬んでそんなことを
言うのだろうと、彼らは話るだろう。

わたしは誰かほかの人のことを
話しているのではない。
あなたのことを話しているのだ。

わたしが、あなたの隣に座っている
人のことを話していると
思ってはいけない。
わたしは、ほかならぬ
あなたに話している。

そしてわたしには、
あなたがた全員の手の中に蛇が見える。
ただ杖のように見えるだけのものは、
役に立たない。それは杖ではないのだ。

あなたには道をはずしてほしくない。
そしてわたしが妬みから、
あなたの美しい杖を奪い取ろうと
しているとは思わないでほしい。
だから、それをあからさまに
蛇とは呼ぶまい。

ゆっくり、ゆっくり、
あなたがしがみついているものが
間違っていることを
理解させてあげよう。

私たちが美しい杖だと思っているもの。

それは実は杖ではなく、毒ヘビだとしたら?

私たちがそれを美しいと思っているのは、単に自分の目が見えなかったからで、もし目を開けて見ることができれば、それは杖ではなく毒ヘビだとわかったら?

それが杖だろうと蛇だろうと、それが凍っていてくれている間はいいのでしょうけど。

それが私たちを幸せにしてくれていればいいのでしょうけれども、でも、それで苦しんだり悩んだりするとしたら、それは杖ではなく毒ヘビを手にしているからなのかもしれません。

そんなことを考えさせられるお話です。

自分が手に握っているものは何でしょう?

そのことをじっくり見てみてもいいかもしれないですね。

それでは今日も素敵な1日を。

Have a nice day!

えたに