他に頂上はない

Oshoの言葉

他に頂上はない

希望は打ち砕かれる運命にある。
希望するということは、
絶望を望むことであり、

欲することは、欲求不満を
生み出すことになる。

しかし、
この世俗的なものにおいては、

少なくとも成功する可能性があるし、
失敗することもある、

達成することもあれば、
達成しないこともある。

しかし、スピリチュアル(霊的)な
ことに関しては、

達成するという問題はまったくない。
なぜなら、
ガチョウは出ているからだ!

それについては何もできない。
ガチョウはすでに出ている。

あなたが谷を
楽しみ始めるやいなや

あなたは頂上にいる。
他に頂上は存在しない!

ある日、
私はもうたくさんだと決めた。

私は頂上という考えを落とし、
谷を楽しみ始めた。
すると奇跡を目にすることになった。
谷が消えてしまったのだ。

実際、最初から谷など
存在していなかったのだ。

私は常に頂上にいた、
しかし私が頂上を
探していたものだから、

自分がどこにいたのか
わからなかったのだ。

               Osho

> しかし、スピリチュアル(霊的)な
ことに関しては、
> 達成するという問題はまったくない。
> なぜなら、
ガチョウは出ているからだ!

ここでOshoが「ガチョウは出ているからだ!」というのは、
有名な禅公案のことを言っています。

その公案というのは、以下のような話です。

小さなガチョウが瓶に入れられ育てられています。
そのガチョウは大きく育って、
瓶の口から出てくることができなくなりました。

そこで禅マスターは弟子に問います。

「瓶を壊さずに、ガチョウを殺さずに、
 そのガチョウを外に出すにはどうすればよいか?」

この公案の答えを知りたい人は、
「草はひとりでに生える」という
Oshoの禅についての講和録を読んでください。

答えを言うと、

「ガチョウはすでに出ている」

です。

「え? なんで?」って思いますよね。

これ、解説すると長くなるので、解説しませんが、
簡単に言うと、

この公案での瓶はマインドを表します、
そしてガチョウはあなたです。

あなたがマインドでこの公案を解こうとしても解けません。

なぜなら、マインドは瓶の中にあなたが入っていると思い込んでしまっているからです。

そうすると、このガチョウ(あなた)を瓶(マインド)から出すことはできません。

しかし、本当のあなたは、ガチョウではありません。

本当のあなたは、それを観ている目撃者です。

あなたはガチョウではないのです。

あなたがその両方に気づいている目撃であれば、
あなたは瓶(マインド)でもガチョウでもありません。

それどころか、

あなたは一度も瓶に入ったことすらもありません。

本当のあなた(目撃者)はすでに瓶から出ているからです。

つまり、あなたのスピリチュアリティは
すでに達成している(覚醒している)ので、
達成するという問題は生じないわけです。

ここからのOshoの話が素晴らしいです。

大きな気づきをもたらしてくれました。

> あなたが谷を楽しみ始めるやいなや
> あなたは頂上にいる。
> 他に頂上は存在しない!

「なるほどぉ〜」って感じですよね。

目から鱗。覚醒のひとときを味わえるほどの言葉です。

> ある日、私はもうたくさんだと決めた。
> 私は頂上という考えを落とし、
> 谷を楽しみ始めた。
> すると奇跡を目にすることになった。
> 谷が消えてしまったのだ。

これはOshoが覚醒を得るに至った、自伝的な回想です。

Oshoはさまざまな探求をしてきて、苦しみ、果てしのない疑問に苛まれて、
奈落の底に落ちる体験をしていたのですが、

それらの探究は、もうたくさんだ! と決めたのです。

何かを求めることを落としたのです。

> すると奇跡を目にすることになった。
> 谷が消えてしまったのだ。

> 実際、最初から谷など存在していなかったのだ。
> 私は常に頂上にいた、

これはOsho自らの体験談を話してくれています。

今日はここまでにします。

えたに