目覚めることへの恐れ

Oshoはしばしば、意外なことを語ります。

私たちが目覚めること、気づくことを恐れている、
ということは考えたこともないことでした。

このOshoの言葉を聞くまでは。

<Oshoの言葉>

目覚めることへの恐れ

マインドは臆病者であり、
臆病者にならざるを得ない。

なぜなら、
マインドには実体がないからだ。

マインドは空虚で、空洞で、
あらゆるものを恐れている。

そして基本的には、ある日、
あなたが気づくようになるだろう
ということ恐れている。

その恐怖が、人々を
瞑想から遠ざけている。

私のように、瞑想や気づきや
目撃することの方法を
広めようとしている人たちを
敵に回すようにしている。

彼らは私に敵対するようになる。
何の理由もなく。

彼らの怖れには十分な根拠がある。

マインドは、より多くの気づきを
生み出すことができるものに

近づくことを本当に恐れている。

それがマインドの
終わりの始まりになるだろう。

それがマインドの死となるだろう。
            Osho

「アウェアネス」という言葉をどう訳すのか、
ということは、いつも悩みます。

1.〔あるものについて〕気付いて[自覚して]いること
2.〔意識のレベルとしての〕目覚め、覚醒
3.〔製品などの〕認知[認識]度

という意味があげられています。

FEAR OF AWARENESS

というのは、「気づくことの恐れ」
というふうにも訳すことができます。

これまで「気づくこと」がどれほど大切かということを聞かされた後で、

実は、私たちはその「気づくこと」を恐れているってどういうこと?
って思ってしまいます。

自分は目覚めたいと思っているのに、
でも、実はその目覚めることを恐れているとは。

でも、実は、本当のことを言うと、
目覚めているよりも、
あったかいベッドの中で、
無意識になって眠っている方が心地よくって、楽だ、って思う自分もいます。

1日が終わって、何もかも忘れて
眠ってしまえるというのは、
ある意味救いだったりもします。

その眠りを妨げる人がいたら、
「眠りを妨げないでくれ!」
って思うでしょう。

その眠りを妨げる人に対して、
敵対してしまうでしょう。

マインドとは眠りであり、
気づきとは、そのマインドの眠りから目覚めること

というふうに考えると、
ここでOshoが話していることも理解できます。

なぜなら、
マインドには実体がないからだ。

マインドは空虚で、
空洞で、あらゆるものを恐れている。

これがマインドの正体であり、
もし私たちが気づけば、その正体がバレてしまう。

マインドは気づきを恐れている。
マインドは目覚めることを恐れている。

私たちがマインドの中にいる限り、第2の次元にいるかぎり、
決して気づけないことでもあります。

愛や魂の第3の次元、
「存在」の第4の次元を知ることができる者だけが、
このような洞察をもたらしてくれることが可能なのだと思います。

私たちのマインドは、気づきを恐れている、
目覚めることを恐れていることに気づいていることは
私たちが気づきを実習する上で、大切なことだと思います。

FEAR OF AWARENESS

The mind is a coward, and has to be a coward
because it doesn’t have any substance.
It is empty and hollow, afraid of everything.
And basically it is afraid that one day you may become aware.

That fear keeps people away from meditation,
makes them enemies of people like me
who are trying to spread something of meditation,
some way of awareness and witnessing.
They become antagonistic to me –
not without any reason – their fear is well-founded.

Mind is really afraid to come close to anything
that can create more awareness.
That will be the beginning of the end of the mind.
That will be the death of the mind.
              Osho

今日はここまでとします。

えたに