「存在とハート」シリーズ(6)

Oshoの言葉

「存在とハート」シリーズ(6)

そして、質問はすべて消え去る。
なぜなら、質問はまったく
無意味なものだからだ。

そしてマインドの
おしゃべりがなくなると、

静寂と平安が訪れ、
あなたはハートの静かで
小さな声を聞くことができる。

ハートだけがその答えを知っている…
ハートはすでに知っている。

そして、もしあなたが
マスターとともにいるなら、

ハートはただマスターに
イエスと言うだけだ。

なぜなら、ハートはすでに
その答えを知っているからだ。

おそらくマスターは、より良い方法で、
より明確にそれを表現しているだろう。

しかし、ハートは完全に同意している。
そして、その同意は、
マスターと弟子との間の
あらゆる距離を解消する。

そのとき、沈黙は単なる
沈黙ではなく、
交感(コミュニオン)でもある。

そのとき、ものごとは
語られるのではなく、
聞かれるようになり、

そしてものごとは
語られるのではなく、示される。

そして、
ハートが心の底から望めば、

人生はシンプルで、
複雑ではない現象だ。

あなたがこれ以上
考えられないほどシンプルだ。

複雑なことを作り、
複雑なことや質問を
作り続けるのはマインドだ。

マインドのすべての専門知識は、
複雑さを作り出すことだ。

もしあなたが、シンプルで、
美しく、静かで、楽しく、

至福に満ちた人生を送りたいのなら、
マインドを無視して
ハートを主人としての地位に
回復させることだ。

これが宗教的探求者の
ワークのすべてだ。

それ以上のことは必要ない。
       Osho

今回のシリーズは、ちょっと難しかったかもしれませんね。

どれだけの人がついて来れたのか(理解できたのか)、ちょっとわかりません。

まぁ、わからないときは読み飛ばしておいてください。

今回のOshoの講話は、マスターの話に耳を傾ける方法についてのものでした。

つまり、マスターの話を聞く時には、マインドではなく、ハートで聴くことが大切だ、ということについて語っていた講話でした。

そのことについて理解するために、マインドとハートの機能の違いということについて詳しく話してくれています。

なので、その(マスターの話を聞く)経験がないと、理解することが難しかったかもしれません。

これらの「存在とハート」シリーズの一連の講話は、以下のような、弟子からの質問について答えて話していた講話でした。

親愛なるOsho。
私はよくあなたに
質問したいと思いましたが、

しばらく待っていると、
いつもあなたが答えてくれました。

そして同時に、その質問はすべて、
私のハートとは全く
何の関係なく出てきた、

私のマインドから出てきた
馬鹿げた質問だったのです。

私のハートはただ泣きたいだけで、
そして私のマインドは、
どんな答えをもらっても、
ただ知りたいだけなのです、

どのような答えを
もらったとしても興味を示さず、

質問し続けるマインドに
どのように対処したらいいのか
教えていただけませんか?

あるいは、
私はギリシャのロバなのでしょうか?」

「存在とハート」シリーズでは

この質問に対して、「マインドとハートと存在」の関係について

関係ありそうなところを引用したものです。

この上記の弟子からの質問に対して、Oshoは次のように話を始めています。

待つことができる弟子は、
適切なときにすべての質問に
答えられていることに気づくだろう。

しかし、待つことは偉大な資質だ:
それは深い忍耐がある、
それは大いなる信頼だ。

マインドには待つことができない、
いつも急いでいる。

マインドは忍耐というものを知らない。
それゆえ、答えを得ることなく、
質問に質問を重ねていく。

このことを理解するのは
非常にデリケートなことだ。
つまり、重要なのは答えではなく、
適切なタイミングであり、

あなたがそれを受け取る準備が
できているかどうか、ということだ。

その準備がなければ、その答えは
あなたの頭上を越えていくだけだ。

待つことができないマインドは、
質問することで頭がいっぱいだ。

マインドは、質問すること自体は
無意味な活動であることを
忘れているーー

本当のことは答えにある。

しかし、その答えを得るためには、
ある種の静寂、平和、
開いていること、受容性が必要だ。

何千年もの間、マインドは
問い続けているが、
何の答えも見出していない。

マインドの世界には質問しかない。
そしてハートの世界には答えしかない。
なぜなら、ハートは
問わない方法を知っているからだ。

待つことを知っている。

春がひとりでにやってくるように、
渇いた大地のように待っていれば、
雨雲は必ずやってくる

………雨雲はやってくる。
雨雲はいつもやってきている。
不信に思う必要はない。
なぜなら、信頼が損なわれた例、
待つことが満たされなかった例、
待つことが報われなかった例など、
一つもないのだから。

途方もなく報われてきた。
          Osho

わかることができる人だけ受け取ってください。

渇いた大地のように待っていれば、
雨雲は必ずやってくる

これは、人に準備ができたときに、マスターが現れる、ということを表している別の表現です。

「存在とハート」のシリーズはこれで終わります。

実際は、ハートとマインドについての理解のための講話でしたね。

要するに、マインドには存在を理解することはできない。

唯一ハートのみが、存在への橋渡しになりうる、ということでした。

次回は「存在」についての予定です。

今日はこれまでとします。

えたに