瞑想をするための決意

瞑想といってもいろんな瞑想があります。

坐禅のようにただ坐るという静的な瞑想から、ヨーガのように体のエクササイズを伴う瞑想、そしてダイナミック瞑想やクンダリーニ瞑想、ナタラジ瞑想のように呼吸やカタルシス、シェイクしたりダンスしたり様々な体の動きを伴う活動的でアクティブな瞑想まで、何百という瞑想の種類があります。

それらの瞑想は、それをする人のタイプによって自分にあった瞑想を選ぶ必要がありますし、またその人のタイミングや状態や段階によって合う合わないがあります。

どの瞑想が自分に合うかということは、その人がどういうことに興味を持っているかとか、その人の状態にもよるので、実際にやってみて決めるのが一番です。

そして実際にその瞑想が自分に合うかどうかは、少なくとも1週間ないし3週間ぐらいはやって体験してみるのがいいです。

その瞑想が馴染んでコツがわかってくるのにはそれぐらいは自分で体験してみる必要があります。

それでいい感じがすれば、3ヶ月、1年と続けていくといいでしょう。

井戸を掘ったときに水が出てくるにはある程度深く掘る必要があるのと同じで、瞑想をしてその瞑想の味わいが味わえるようになるには、ある程度同じ瞑想を続ける必要があります。

例えば坐禅をするにしても、最初は足を組むだけでも大変です。少し長く座っていると足がしびれて立てなくなります。初めのうちは非常に辛いものです。

でもひとたびその坐禅の型に慣れてしまうと、あれほど体が安定する坐法はありません。道元が心身脱落、脱落心身と言っていますが、全ての体の力を脱落しても坐っていられるのがあの坐法なのです。そして体が安定すれば心も安定する、というふうに非常に合理的にできています。

また、その瞑想をするときには、トータルにする必要があります。トータルというのは全身全霊でという意味ですが、身も心もそのことに投入することが大切で、中途半端だとその効果も中途半端です。

そこで必要なのが、この瞑想をするという決意です。

1割だけの表層の意識だけで瞑想をしていても、後の9割の意識はどこかに行っているのであまり集中もできないですし、「今ここ」にいることもできません。

瞑想するときには、瞑想するということに全てを打ち込む必要があります。

そしてOshoがここでその瞑想の決意の方法について解説し、詳しく述べているのは、この3日間の瞑想キャンプが終わった後、一人でも続けていくことができるようにするためです。

この瞑想キャンプの間はOsho(マスター)がいてくれるわけだし、みんなが瞑想にフォーカスしているので瞑想は簡単です。

Oshoはその後、インドのプネに瞑想のためのアシュラムを設けて、そこで講話と瞑想をしていたので、そのエネルギーフィールドの中にいるだけで瞑想は自然とできるようになります。

今でもインドのプネにはOsho国際瞑想リゾートがあって、一日中様々な瞑想が提供されているので、瞑想を体験したい人は訪れてみると良いでしょう。そのエネルギーフィールドは今も引き継がれています。

ともに瞑想する仲間とともにいるということは瞑想を続けていくためのサポートになります。

瞑想に限らず、何事もそうですが、自分の意志が弱いと思えば、それを習慣化するための環境の中にいれば良いのです。周りのみんなが瞑想していれば、自然と瞑想するようになるものです。

瞑想を続けられるかどうかの試練は、周りにそのような環境がなく、一人でしなければならなくなったときです。

そこで、Oshoはこの3日間の瞑想キャンプの間にその瞑想を続けていくために必要な決意の持ち方を参加者に指導しています。

Oshoは、「この、意志を強固にするエクササイズについて説明したい。そうすれば、ここでも普段の生活でも実践できるだろう」と語った上で、そのやり方を説明しています。つまり、普段の生活で実践するためには、その意志を強固にする必要があるからです。

この決意の仕方は、瞑想をするためだけではなく、自分が立てた計画を三日坊主で終わらせないための方法にもなります。

今日は正月の三日目。

このOshoの指導している決意の方法を使えば、「一年の計は元旦にあり」で立てた計画が、三日坊主で終わらないための対策にもなるでしょう。

目覚めるときは、
決意とともに目覚めなさい。
そして夜眠りにき、
ベッドに横たわったら、
5分間決意を思い返し、
眠りに落ちていくときに繰り返すのだ。

この、意志を強固にする
エクササイズについて説明したい。
そうすれば、ここでも
普段の生活でも実践できるだろう。

説明したように、
この決意とともにあなたの
マインド全体は、意識的なものも
無意識的なものも、
両方ともこう決意する。

『わたしは沈黙する、
わたしは瞑想を体験すると決めた』

ゴータマ・ブッダが光明を得た夜、
彼は菩提樹の下に座って言った。

『わたしは光明を得るまで、
この場所から立ち上がるまい』

あなたは
『でも、どんな関係があるというのだ? 
立ち上がらないことが光明を得ることを、
どう助けるというのか?』
と思うかもしれない。
しかし、『わたしは……すまい』という
決意は全身に広がっていく
――そして彼は、光明を得るまで
立ち上がらなかった! 

驚くことに、まさにその夜、
彼は光明を得た。
彼は六年間試みてきたが、
以前はこれほどの強烈さを
抱いたことはなかった。

物事をするにあたって、「覚悟する」ということがいかに大切かを思い知らされるような話です。

「覚悟」というのは、目覚め、悟るという字を書きますが、まさにこの仏陀の『わたしは光明を得るまで、この場所から立ち上がるまい』というほどの決意のことをいうのでしょう。

しかし、いきなりこれだけの覚悟を持つことはなかなかできません。

そこで、Oshoはその決意の仕方を段階を追ってさらに詳しく解説してくれています。

それはまた次回に。

それでは、素敵な1日を!

Have a nice day!

えたに