「行為」と「無為」
まず最初にブッダの言葉、 Oshoの言葉から始めていこうと思います。 真理に目覚めた人の言葉です。 「行為は助けにならない、 行為は再び同じ轍になる 行為ではなく 存在のみがあなたを変える だから何度も何度も失敗すると…
Oshoの言葉
まず最初にブッダの言葉、 Oshoの言葉から始めていこうと思います。 真理に目覚めた人の言葉です。 「行為は助けにならない、 行為は再び同じ轍になる 行為ではなく 存在のみがあなたを変える だから何度も何度も失敗すると…
ゴールドナゲッツ
何らかの真理を認識するとき ハートには、 つねにダンスがある ハートは真理への唯一の証しだ ハートはことばで 立証することができない ハートは独自の方法で 立証することができる ことばではなく 愛を通して ダンスを通して…
一万人のブッダたちへの百話
Oshoが肉体を離れる2日前に、ブッダホールに現れ、最後の別れの挨拶をしています。 いつもはポーディアムと呼ばれているところに彼の椅子が置いてあって、そこに座って瞑想をガイドします。 しかしこの日は椅子に座ることなく、た…
一万人のブッダたちへの百話
マスターから弟子への伝達の方法には、さまざまな方法があります。 一般にマスターが弟子の眉間に指を当てて行うシャクティパットという方法が有名ですが、ただ、目を見ることだけで行うこともあります。 マスターが行うというよりも、…
一万人のブッダたちへの百話
Oshoが肉体を離れたのは、これらの一連のことがあった翌年の1990年1月19日。 Oshoはすでに自分の死期を悟って、着々とその準備をしていたようです。 ニルヴァーノはOshoの最も身近にいた弟子のひとりです。 それで…
一万人のブッダたちへの百話
今思い返せば、この時期にOshoがしていたことは、仕事の総仕上げだったのだということがわかります。 しかし、その渦中にいたときには、そんなにも早く私たちの元を去ってしまうわけがないという希望から、それを見ないようにしてい…
一万人のブッダたちへの百話
Oshoは1974年から1981年まで、インドのプーナ(プネ)に瞑想のためのアシュラムを作り、そこで講話をして、ダルシャンなどを行い弟子を受け入れていました。 その後アメリカに渡りましたが、その間1985年までは沈黙の期…
一万人のブッダたちへの百話
Oshoの第2期プーナの始まりです。 第1期のプーナは1974年からアメリカに渡る1981年までの7年間でした。 アメリカに渡って6年後に、再びもといた彼のプーナのコミューンに戻ってきたのです。 まさに、「Oshoの臨在…
一万人のブッダたちへの百話
1986年7月。Oshoはワールドツアーから再びインドに戻ってきました。 ちょうど30年前の出来事です。 このワールドツアーについては、シュンニョの「Oshoとのダイヤモンドの日々」に詳しく書かれています。 ここに書かれ…
一万人のブッダたちへの百話
Oshoは1980年にアメリカを去った後、1985年にインドに帰国します。 その一時的な滞在先は北インドのマナリでした。 そこでジョティは久しぶりにOshoに会うことができました。 そしてOshoから「プーナのコミューン…