世界をあるがままに見るために必要なこと

Oshoが語っていることを理解することが難しいのは、Oshoが当然のように語っていることの体験が私たちにはないからです。

「マインドは条件付け以外の何ものでもない」ということは理解できても、「マインドを脇に置く」とはどういうことかがわからないし、そのためにどうすればいいかがわからないことです。
なぜなら、私たちはマインドの中に生きているからです。

この世界における最大の勇気は
 マインドを脇に置くことだ

と言われたとしても、勇気以前に、「マインドを脇に置く」ということがどういうことなのかがわからない。

なぜなら、私たちはマインドのある状態しか知らないので、マインドを脇に置くことなどできないからです。
マインドが自分でマインドを脇に置くことはできないのです。
それはマインドにとっての自殺になってしまうので。

その「マインドを脇に置く」ことの方法が瞑想です。

禅では、その「マインドを脇に置く」ために座禅をします。
それが無心、ノーマインドになることです。

そのような境地を詠んだ歌として有名なのが
蘇東坡が詠んだ春の景色です。

「柳は緑、花は紅、 真面目 ( しんめんもく ) 」

という言葉です。

あなたは世界をあるがままには見ていない
マインドがあなたに強要するように見ている

そして、それは
世界中いたるところで目にすることができる

さまざまな人々が、さまざまな方法で条件付けを受けている
マインドは条件付け以外の何ものでもない

人々は自分自身の条件付けに基づいてものごとを見るー
その条件付けは一種の色づけだ

私たちは区別をする
ある人は優れている
ある人は劣っている
男性は強く、女性は弱い
ある人は賢く、ある人はそうではない
ーーという具合にーー

多くの民族が
自分たちこそ神に選ばれた民族だと主張してきた

すべての宗教が
自らの経典こそ神自身によって記されたものだと主張している

これらすべてが幾重にも層を重ねて
あなたのマインドを形成する

マインド全体を脇に置き
世界を自らの意識で
直接、即座に見ることができないかざり
真実を見極めることはできない

この世界における最大の勇気は
マインドを脇に置くことだ

もっとも勇敢な人とは
マインドの障壁なしに世界をあるがままに見ることができる人だ

そのとき世界はまったく異なっている
完璧に美しい

誰ひとり劣っている者はいない
誰ひとり優れている者はいない
そこには何の区別も存在しない

ゴールド・ナゲッツ」 by Osho

道元は、

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」

と詠んでいます。

芭蕉の「古池や 蛙(かわず)飛びこむ 水の音」

芭蕉と同門の山口素堂の「目には青葉山ほととぎす初鰹」

あたりまえのことをあたりまえに、あるがままに見るとこうなるんでしょうね。

そのとき、
世界はあるまがままで完璧に美しい

誰ひとり劣っている者はいない
誰ひとり優れている者はいない
そこには何の区別も存在しない

ということになるのです。