「科学と内なる旅」
Science and the Inner Journey アメリカでのインタビューシリーズです。
内なる旅とは何かを科学者が理解しようときに直面する困難についての質問です。
質問者は、言葉の定義が困難であることが問題だと言います。
例えば、意識と気づきと意識的なマインドとの区別がつかないので、科学者たちは同じ意味で使っているということが挙げられます。
そこでOshoへの質問として「これらの用語を理解することは可能でしょうか?」ということです。
要するに、これらの言葉を定義して話してくださいということですね。
Oshoの答えは
「なんら難しくない
言葉は明確に定義できる
問題なのは言葉ではない
根本的な問題は別のところからきている
それは、科学者は心の底では
内なるものが存在しているということを
信じていないということだ」
ということです。
引き続いてOshoは科学的論法で科学者の考え方を論破します。
以下に、その要旨をまとめておきます。
「科学者はすべて対象物のあるモノだけを
信じるように訓練され、教育されてきている。
モノなら解剖して観察して分析できるし、
合成したり、化合したり、分解したり、
その基本成分を見つけたりもできる。
そういうふうに科学者はモノ指向で
ものごとを考えるように
なってしまっている。
でも、主観性はモノではない。
だから、科学者は自分以外のモノなら
なんでも見つけらるが、
自分を見つけることができない。
そこには大きな壁がある。
その壁とは、内なるものはない、
という信じ込みだ。
科学者はそのような科学的な方法で
生をも理解しようとしているが、
見つけられないので、
今度はそれを否定し始める。
「意識」というのはそれよりもさらに困難で、
それは触れることも分解することも
成分を見つけることもできない。
そうすると科学者は、意識などは存在しない、
と否定しはじめる。
科学者はそういう偏見を持っているので、
混乱している。
しかし、その偏見を取り除くはとても簡単で、
仮説として、外側に何かがあるなら、
内側にも何かがあるに違いないということを
受け入れればいいだけのことで、
それが科学的な考え方だ。
なぜなら存在しているものはすべて
その反対の極性があり、
外側が存在するためには
内側が存在している。
無意識が存在するためには
意識が存在している、
と考えるのは生の弁証法であり、
しかも対極にあるものは相補的でもある。
したがって、内側を否定することは、
非科学的な態度だということになる。
だから、まず科学者にとって必要なのは、
仮説として、内側が存在するということを
認めるべきだということだ。
第2に科学者が理解しなければならないのは、
外側で通用する方法論は
内側には適用されないということだ。
なぜなら、内側は外側とは
真逆の次元なので、
同じ方法論は通用しないからだ。
内側に対しては新しい方法論を使わなければならない。
それが瞑想だ。瞑想が内側への方法論だ。」
ということになります。
Oshoは学生時代、弁論大会ではなんども優勝し、大学の哲学教授でもあったので、こういう論法はお手の物なのでしょう。
Oshoがどのようにこれらのことについて話しているかはビデオでご覧ください。
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今日はここまでにします。
えたに