死は突然訪れます。
昨日まで生きていたのに、次の日には突然この世からいなくなってしまいます。
それは例えその人がずっと病気で患っていようと、それまで元気であろうと、同じです。
生きていることと、死んでしまった後では全く異なった現象です。
今年になってから、たて続けに6人の身近な人たちがあの世へと旅立ちました。
私の母が2月18日。
脳溢血で倒れ、3年8ヶ月に渡る闘病生活を送っていました。
その間、3度に渡って脳溢血と1度の心筋梗塞で入退院を繰り返し、心臓停止を含めて、それまで10度以上の危篤状態を繰り返した末でのことでした。
その三日後、大阪で母の葬儀を済ませて鎌倉に戻ってホッとしたころに友人のミラの訃報。
彼女とはその2週間前までインドで会っていて、いつも元気そのもので、彼女が死ぬことがあるなんて誰もが予想だにしない人でした。
最初は誰も信じることができず、冗談だろうと思ったようです。私もその一人でした。
私がインドを離れる当日、たまたまOshoリゾートの門でばったり会ったので、「ミラはこれから南アフリカに行くんだよね?」って聞くと、彼女は「そう。明日私もインドをでて、彼と南アフリカでサファリに行って、それからダイビングするんだぁ!」と楽しそうに言って、「じゃぁ、日本でね! バイバイ!」と手を振って、お互い笑顔で別れたのでした。
ダイビング中の事故でした。
彼女は300時間以上ものダイビングの経験があり、いつもの通り彼と海に潜り、彼が異変に気付いて彼女の元に駆けつけたときにはすでに意識はなく、ボートに戻るまでたった2分半の出来事だったとのこと。
最後の最後までトータルに生き切った、彼女らしい最後ともいえます。
ミラは3月には日本で絵のペインティングワークショプとトレーニングを教える予定があり、彼女の本の出版の企画も進んでいたので、まだまだやり残したこともあったでしょう。
ちょうど訃報を受けととき、彼女がOauマガジンへ寄稿してくれていた原稿を校正していたところでもありました。
「アートに目覚める生き方」というタイトルで、ミラの遺稿はここに掲載されてあります。
日本で行われた彼女の葬儀、セレブレーションには、海外からも多くの友人が駆けつけました。
死については、私も不治の病の宣告を受けたこともありますし、実際死にかけて一命をとりとめたことなどもあって、馴染み深いテーマです。
私がテイクサニヤス(Oshoの弟子になる)したのも、父の死が大きなきっかけでもありました。
ある意味、父の死を通して、自分の死を深く見つめるきっかけになったからです。
肉体の死、以外にも死ぬ方法はいくつかあります。
というか、肉体の死は本当の死ではないかもしれません。
なぜなら、もし輪廻転生というものがあるとすれば、またこの世に戻ってくることになるからです。
その考えによれば、肉体が死んだとしても、それはちょうど古い服を脱いで新しい服に着替えるようなものです。
それが本当かどうかは知りませんが、本などを読むと多くの証拠らしきものはあります。
チベットなどでは輪廻転生は常識で、前世の記憶を持って生まれてきている子供の例も多くありますし、何よりもダライ・ラマもその輪廻転生を前提とした制度です。
臨死体験なども、死後の生があるのかもしれないという多くの共通する要素があります。
しかしこれについては、ある人がOsho に「輪廻転生とはなんですか?」という質問をして、彼は次のように答えています。
「私はあなたに、一つのことを言いたい
輪廻転生の観念全体が誤解なのだ
人が死ぬとき、その人の存在は
全体の一部になる
というのはほんとうだ
彼が罪人だろうと、
聖者だろうと、関係ない。
しかし、彼はまた,マインド、記憶
と呼ばれるものを持っていた
過去においては、記憶を
思考の束や思考波として
説明するような情報は
手に入らなかったが、今や、
それは簡単になってきている
。。。。。。。
輪廻転生はないが、惨めさは転生する
何百万もの人々の傷が、進んで惨めに
なろうとしている人を探して、
あなたの周りでうごめいている 」
「死について 41の答え」 Osho
このOshoの答えによれば、輪廻転生などはないが、人々の惨めな思いがあなたのマインドに乗り移るだけだ、というのです。
たとえ肉体が死んだとしても、その記憶や思考の束や、思いなどは残されるのです。
自殺の名所などはその典型かもしれません。惨めな思いがひかれあって乗っ取られるのかもしれません。
惨めな思いを持っていると、惨めな思いを残していった魂に乗り移られたりするかもしれないので、気をつけてください。
自分の過去生だと思っても、それは他の人の残されたマインドなのかもしれないのです。
しかし、Oshoは輪廻転生があることについても、他のところではいろんなふうに話してもいるので、何が本当かはわかりません。
彼は次のように語ります。
「私はあなたに、どのような慰めさ
も与えはしない。
「魂は永遠だ 心配はいらない
あなたはけっして死なない
身体だけが死ぬのだ」
と言うつもりはない
私にはそれが真実だと分かっている
しかしその真実は、苦労して
稼ぎ取らなくてはならないものだ
あなたはそれを、他人の言葉や声明
によって手に入れることはできない
それは声明ではなく、体験なのだ
私には、それはそうだと分かっているが、
あなたにとっては、まったく意味がない
あなたは生が何なのかを知らずにいる
どうして永遠が何なのかを知る
ことができるだろう?
あなたは時間の中で生きることすら
できていないのだ
永遠の中でどうして
生きることができるのかね?」
「死について 41の答え」 Osho
死とは何か?
結局それは自分で稼ぎとることでしか知ることはできないということです。
輪廻転生のようなものはある、と私は思いますが、具体的にそれがどうなっているのかはまだわかりません。それは肉体が死んでからのお楽しみです。
それはともかく、死ぬにはいくつか方法があると言いましたが、それについてはまた次回に。
今日はここまでにします。
えたに