「プリズンブレーク」というアメリカの連続テレビドラマがありました。
アメリカのFOX製作のドラマで脱獄をテーマにしたものでした。
こういう暴力もののドラマに普通なら興味はないのですが、借りたビデオに1編か2編分が無料でついていたかなにかで、ついでに見ているうちにはまってしまったのです。
各回の終わりのシーンが、どうしても次を見たくなるようにできていて、その手法に感心しながら、しばらくツタヤにビデオを借りに通っていました。
そのドラマのおかげで、刑務所の中はずいぶん詳しくなったように思っていましたが、このシュンニョの手記を通して見る刑務所の様子は、さらになまなましくせまってきます。
無実だと知りながらも、その人たちにアメリカ政府はどのような扱いをしていたのかということがよくわかります。アメリカ憲法は人権を守ることをうたっていますが、実態はそのようにはなっていないようです。
この手記を読むかぎり、拘置所のシステムは、人間の精神を破壊することを目的としているかのようです。
シュンニョは書いています。
「私たちは連邦裁判所つき拘置所へと護送されました。
車は猛スピードで走りました。
いったい彼らは正気なのでしょうか?
道路は空っぽで静まりかえっているというのに、首を折りそうな速度で飛ばすのです。
後部座席に乗せられた私たちのからだは跳ねまわり、ドアや側壁にぶつかりました。
膝や肩が痛みました。
OSHOを乗せた先行車も同じような走り方をしています。
彼の繊細なからだと具合のよくない背骨が心配でした。
のちにOSHOは次のように語りました。
「私自身、無謀なドライバーだ。
私はこれまでの人生で2回しか法を犯していない。
2回ともスピード違反だ。
だが今回のそれはふつうの暴走運転ではなかった。
まったく尋常ではない急停車をしていた。
理由などなにもない、私のからだに衝撃を与えるための急停車だ。
手には手錠がかけられ、足には鎖がつけられていた。
腰のどのあたりに鎖をつけろということまで彼らは指示を受けていた。
私の背骨がいちばん痛むところに鎖をつけたのだ。
急停車は5分おきだった。
突然加速して突然停車する。
それはただ私の背骨に最大限の痛みを与えるのが目的だった。
それでもだれも『それでは彼を傷つけている』とは指摘しなかった」
拘置所に着いたときジャイエッシュは、休暇がこんなことになってしまったので、怒ったふりをしてこう叫びました。「だれだい、こんなホテルを予約したのは?」。
私たちは鉄のベンチで一晩を過ごしました。
食事も飲みものも与えられません。
トイレは部屋のまんなかにあり、戸口のところの監視カメラが一挙一動を観察できるようになっていました。
OSHOはひとりで私たちと似たような牢に入れられています。
そのとなりの牢には、デヴァラジ、ジャイエッシュ、それに3人の男性パイロットがいました。
・ ・ ・
3列目の牢には、私たち4人の女性のほか、一人の女性パイロットがいました。
彼女は泣き叫んでいます。
牢のなかを歩きながら叫び声をあげている彼女を見て、内面に中心を据えている私たちとの対照的な違いに気づきました。
このような状況にあっても、私は感謝を感じました。
OSHOが何年ものあいだ教えてくれていた瞑想の質を、自分のなかに感じられたからです。
これほどはっきりとそれを体験したのははじめてでした。
それでも私には激怒を覚えるときもありました。
拘置所のシステムはあきらかに、ひとの精神を崩壊させることを目的としていました。
人をはずかしめ、恐がらせ、忠実な奴隷にするのが目的です。
拘置所に入ってから2、3時間たったころ、囚人にコーヒーを与えるのは規則違反だと知らされました。
囚人が看守の顔にコーヒーをぶちまけることがしばしばあるからという理由です。
それを聞いたとき、私はショックを受けました。
それを差し出してくれた当人めがけて熱いコーヒーをぶちまけるなんて、そんなひどいことをする人がいるのでしょうか。
ですが、その2,3時間後には、それが完全に理解できるようになりました。
機会さえあれば私が誰に熱いコーヒーを浴びせるのかがはっきりしました」
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)