まず、自分自身を深く受け容れることだ

動物や小鳥たちを見てごらん
誰も悩んではいない
誰も悲しんではいない
誰も不満を抱いてはいない

混乱した水牛を見たことがあるかね?
水牛は日々同じ草を食みながら
完全に満足して

いる 彼らは悟っているも同然だ

そこには緊張というものがない
そこには自然との、
自分との
あるがままのすべてとの
途方もない調和がある

水牛は世の中で革命を起こすために
自分たちを超水牛に変えるために
宗教的で有徳になるために党派をつくったりはしない

いかなる動物も
人間たちがつくったさまざまな理想には見向きもしない
動物たちはみな笑っているに違いない

「いったい、どうしたんだい?
 なぜ自分自身で、
 あるがままでいることができないんだい?
 ほかの誰かになる必要がどこにあるの?」

だからまず、自分自身を深く
受け容れることだ

ゴールド•ナゲッツ

いろんな悩みや悲しみ、不満があったり落ち込んでいるとき、
このOshoの言葉に耳を傾けてみるといいと思うのです。

いろいろ悩んでいるとき、このOshoの言葉を思い出す。
あるいは、車の助手席に座っている犬を眺めてみる。

そういう犬を見ていていつも思うのですが、犬っていいなぁって思います。

だって、何も心配しないでも、車を運転してもらって、
いい家に住んで、食事も飼い主が全部用意して食べさせてくれるのですから。

最近はサングラスをかけたり、服を着せてもらったり、
オーガニックフードを食べさせてもらったり、
至れり尽くせりです。

彼ら(犬や猫)にとっては大いに迷惑をしていて、
あるがままにさせてもらえない、と思っているかもしれませんが、
何もしないでいても、面倒見てもらえています。

飼い主は犬を飼っていると思っているかもしれませんが、
実は犬の方がご主人なのではないかと、笑ってしまうほどです。

猫なんてさらに上をいっていて、ほんとに勝手気ままに振る舞っていて、
膝の上に乗ってごろごろ喉をならしていたりすると、
しびれが切れて、自分はもう立ち上がりたいのに、
猫のために我慢して座っていたりします。

猫は、あるがままに振る舞っているのに、なぜか誰にも文句を言われない、
どころかかわいがってもらえる。

そんな犬や猫から見ると、
人間があくせく生活に追われて悩んでいたりするのは、

「いったい、どうしたんだい?
 なぜ自分自身で、
 あるがままでいることができないんだい?
 ほかの誰かになる必要が どこにあるの ?」

って言われているみたいです。

結局、自分が悩んだり、落ち込んでいるときって、

「自分自身を深く受け容れること」
ができていないんだなぁ、って思います。