セックスはタブーではなくなる


セックスが苦い体験、嫉妬、挫折感
を生み出さず
たんに娯楽、ほかのすべてのゲーム以上の
ものではない─
たんなる生物学的なゲームになるような
生をなぜ創造しない?

テニスをするからといって
一生同じ相手としなければならない
ということはない

生はもっと豊かであるべきだ
ほんの少しの理解があれば、
それだけで充分だ

そうすれば
愛はやっかいな問題ではなくなる
セックスはタブーではなくなる

ゴールド・ナゲッツ

どうしてセックスが苦い体験、嫉妬、挫折感を生み出しているのでしょうか?それはセックスに多くのものを同一化しているからです。

セックスを愛と同じものだと考えていたり、
セックスとモラル、
セックスと結婚、
セックスと人生、
セックスと自己価値、
セックスとありとあらゆるものがくっついて考えられています。

セックスはもっとも人間の基本的、根本的な欲望とも結びついていますし、人生のもっとも大きな関心事の一つでもあります。

生物学的には種の保存とも関係していますし、個人にとっても命の始まりはセックスなわけですし、子孫を残すのもセックスです。

それほどセックスというのは大切な意味を持っていますが、でも反面、宗教的、社会的にはセックスはタブーになっていて、おおっぴらには語られないようになっています。

だからこそ、三面記事にはもってこいの題材ですし、ニュースになります。

そこでOshoが

セックスは
たんに娯楽、ほかのすべてのゲーム以上
のものではない―
たんなる生物学的なゲームになるような
生をなぜ創造しない?

テニスをするからといって
一生同じ相手としなければならない
ということはない

なんていうことをいうと、すべてのニュースやゴシップがこの言葉に飛びついて、Oshoのことをセックスグルなどと言い始めます。。

Oshoが語っていることの真意がすべてふっとんで、この表面的な「セックス」ということにすべての関心事が集まってしまうようです。

Oshoはかつて、メディアからの次のような質問について語ったことがあります。

質問──「あなたはセックス・グルとして有名ですが‥‥‥」

Osho──
私をセックス・グルと
呼ぶのは間違っている
ばかりか愚かでもある。

正しく言おう。私はセックスに反対する
世界で唯一の人間だ。

だが、それがわかるためには
たいへんな理解力が必要だ

そのような理解力をジャーナリズム
に期待することはできない。

私のあらわした本は少なくとも
400冊はある。

そのうちセックスについての
本は1冊だけだ。

ところがその本だけが話題になる。
あとの399冊はだれも気にかけない。
そしてその399冊のほうが重要だ。

セックスについての本は、
あなたがたを準備させる
ためのものにすぎない。

あなたがたがほかの本を理解し、
高みに昇れるようにするための準備、
小さな問題を落とし、
人間の意識の高みへとたどりつけるように
するための準備にすぎない。
それなのに、これをのぞいたほかの本について
はだれも気にかけない」
https://oejbooks.com/2015/05/12/how-to-make-of-osho-gossip/

このセックスについてのOshoの言葉を聞けば、セックスは人生で、それほど重大視するほどの問題でもない、人生では、もっと大切な問題がある、ということがわかります。

セックスはたんに娯楽、ほかのすべてのゲーム以上のものではない―

という言葉がそのことを物語っています。

ところが、私たちはセックスを人生の中であまりにも重大視し過ぎてしまっているのかもしれません。

セックスへの関心事だけが大きくなり過ぎているようにも思います。それは、メディアの取り上げ方を見ているとわかります。

自分の思い込みだけでOshoの言っていることをジャッジするのではなく、ここでOshoはセックスについて何を言おうとしているのか?

ということの真意を考えるきっかけにしてもらえると、この言葉は自分のセックスについての思い込みや見方、愛や人生についての見方を根本的に変えてしまうパワーを持っています。

もしあなたがセックスに関連して、苦い体験、嫉妬、挫折感を味わっているとしたら、その必要もないということがわかるでしょう。

もしあなたの人生でセックスにまつわる苦い体験、嫉妬、挫折感がなくなるとしたら、あなたの人生はどのようになるでしょう?

もし、セックスが苦い体験、嫉妬、挫折感を生み出しているとしたら、セックスのことをそれほど深刻に考えなくていいですよ、

そうすれば、その苦い体験、嫉妬、挫折感についても、それほど深刻には捉える必要もなくなるでしょう、という意味も含まれているのだと思います。

小さな問題を落とし、人間の意識の高みへとたどりつけるようになることをもっと考えてもいいかもしれないですね。