寂しさへの瞑想シリーズ その9
Oshoの言葉
心の奥深くには深淵があり、
定義できない。
深淵がある ーー
空虚だ。
あなたはその中へと溶け込み始める。
それが恐怖を生み出す。
あなたは怖くなる。
あなたは他者に向かって
突進したくなる。
他者はあなたが外に出るのを助け、
他者はあなたが外に留まるのを助ける。
誰もいなければ、
あなたはただ自分の空虚さと
ともに取り残される。
誰も一人になりたくない。
この世で最も怖いのは、
一人で取り残されることだ。
人は、
一人にならないようにするために、
ありとあらゆることをする。
隣人の真似をして、
自分も彼らと同じようになり、
一人で
取り残されないないようにする。
自分の個性を失い、
独自性を失い、
模倣するようになる。
なぜなら、
もしあなたが模倣しなければ、
一人で置き去りにされるからだ。
群衆の一員になり、
教会の一員になり、
組織の一員になる。
どうにかして、
あなたは群衆の中に溶け込みたい。
そこではあなたは
安心することができる。
そこではあなたは一人ではない。
そこには、
あなたのような人がたくさんいて、
あなたのような
モハメッド人がたくさんいて、
あなたのような
ヒンズー教徒がたくさんいて、
何百万人ものキリスト教徒がいて、
あなたは一人ではない。
Osho
ここでOshoが語っているのは、
私たちのリアリティです。
Oshoの言葉というのは、瞑想から見た世界です。
リアリティそのものを映し出す鏡のようです。
まさに禅師の言葉のように、
それは解釈をする余地はなく、
私たちをリアリティに直面させます。
そこから逃避することなく、
一人でいることができるかを試しているようでもあります。
誰も一人になりたくない。
この世で最も怖いのは、
一人で取り残されることだ。
人は、
一人にならないようにするために、
ありとあらゆることをする。
隣人の真似をして、
自分も彼らと同じようになり、
一人で
取り残されないないようにする。
これはとりわけ日本人に強い特性のように思われます。
農耕民族の特性なのかもしれません。
村八分になったら生きていけない、
という恐怖もあるのかもしれません。
しかしそれよりもさらに深くを見ていくと、誰も一人にはなりたくない、のです。
みんながマスクをしているなら、自分だけマスクを外すわけにはいかない、
そう思って、なぜみんなマスクをしているんだろう?
と思いながら、エチケットのように、マスクをしていたりします。
一人で取り残されないようにするために。
そしてコロナが終わっても、なかなか、みんなマスクを外そうとしません。
なぜなんだろうと思って不思議に思って、聞いてみたら、
あまりにもマスクと一体化してしまって、マスクを外すと下着を脱ぐような気がするんだそうです。
恥ずかしくってマスクが外せない、というわけです。
マスクをしていると、何か自分を隠していられるように思うのかもですね。
習慣って、すごいなぁって思います。
今日はここまでにします。
えたに