寂しさへの瞑想シリーズ その8

寂しさへの瞑想シリーズ その8

Oshoの言葉

他者がいなければ、
私たちは自分が誰なのか
わからなくなる、

アイデンティティを失ってしまう。

他者が鏡となり、私たちは
そこに自分の顔を見ることができる。

他者がいなければ、私たちは突然、
自分自身に投げ出される。

大いなる居心地の悪さ、
不自由さが生じる。

なぜなら、私たちは自分が
誰なのか分からないからだ

私たちはひとりでいるとき、
とても奇妙な仲間、

とても当惑する仲間の中にいる。
私たちは自分が誰と
一緒にいるのかわからないのだ。

他者との間では、物事は明確であり、
定義されている。

名前も、形も、男か女かもわかる。
ヒンドゥー教徒、キリスト教徒、
インド人、アメリカ人など、

相手を定義する方法はいくつかある。

自分自身を定義するには
どうすればいいのだ?

                   Osho

私たちが外側の世界を生きているとき

私たちは、他者との関係で定義されます。
自分を定義するには、他に方法がありません。

人間、とはよく言ったもので、人は、人と人の間に支え合って存在しているのです。

もし一人だけ、この宇宙にただよっていたら、どうでしょう?

果たして自分が存在するかどうかさえ、わからなくなってしまうでしょう。

自分が誰なのか?わかりようがありません。

ただひとり、宇宙に存在することに意味があるのかさえ、わからなくなるでしょう。

周りに人がいる限り、
私たちは、お互い他者を鏡として、
自分を映し出すことで自分を認識しているのです。

でもそれは写鏡のようなもので、
その鏡がなくなれば、
自分の姿も消えてしまいます。

そのとき、私は誰なのでしょう?

今日はここまでにします。

えたに