もっと気づくようになるために(7)

Oshoの言葉

もっと気づくようになるために(7)

パンカジ、あなたは私に尋ねた
どうすれば
もっと気づくようになれますか、と。

もっと人生が非常に危険であることに
気づくようになりなさい。

死はいつ何時起こるかわからない。
次の瞬間、
あなたのドアをノックするかもしれない。

永遠に生きられると思えば、
気づかないままでいることもできる。

死がいつも身近にあるなら、
どうして気づきのないままに
生きていられるだろう?
不可能だ!

もし人生がつかのまのもので、
シャボン玉のようなもので、
ほんの少し刺しただけで、
永遠に消えてしまうのなら、
どうして気づかないままで
いられるだろう?

一つひとつの行為に
気づきをもたらしなさい。

道を歩いているときには、
十全に注意を怠らないで歩きなさい、
食べるするときは、
気づきを持って食べなさい。

何をしていても、
過去や未来に
邪魔されないようにしなさい。

今ここにいなさい。
それが気づきのすべてだ。
       Osho

さて、いよいよ
「もっと気づくようになるために」
のシリーズ最終回です。

質問者、パンカジに対しての
Oshoの回答です。

もっと人生が
非常に危険であることに

気づくようになりなさい。

死はいつ何時起こるかわからない。
次の瞬間、あなたのドアを
ノックするかもしれない。

これ(死)が常に人生の底流に流れていることに気づくこと、

というのがOshoの答えです。

これは見えない糸で、
常に私たちの頭上にぶら下がっているものです。

しかし、私たちはそのことを忘れてしまっています。

蜀山人の狂歌に、

「今までは他人(ひと)が死ぬかと思いしに、
 俺が死ぬとはこいつあたまらん」

という歌がありますが、

まさにその通りなんですよね。

そのリアリティは、
誰もが避けて通れません。

なのに、私たちは、
他人は死んでも、自分は死なない、
とどこかで思っているふしがあります。

だって、自分はまだ一度も死んでいないのですから。

> 死がいつも身近にあるなら、
> どうして気づきのないままに
> 生きていられるだろう?
> 不可能だ!

結局は、このことに
どれだけ気づけるかだと思います。

もっと気づけるようになるためには、
本当にこのことに気づくことです。

でも、そのことを、
私たちは忘れてしまいます。

もっと、このリアリティに気づくようになれば、

その気づきが深まれば深まるほど、

すべてのものごとへの気づきがもっと深まります。

そうなれば、

何をしていても、
過去や未来に
邪魔されないようにしなさい。

今ここにいなさい。
それが気づきのすべてだ。

なんてことは、
言われるまでもないことになります。

逆に、そのこと(死)への気づきがなければ、

今この瞬間を大切に生きよう、
大切に味わおう、
とも思わなくなるでしょう。

いつもマインドの中を
うろうろしてしまいます。

もっと気づくようになるとは、

どれだけ今のこの瞬間の生を
大切にできるのか?

ということなのだと思います。

今この瞬間を大切に思えば思うほど、
今この瞬間を味わい、

この瞬間に気づくことができるようになります。

今日はここまでにします。

えたに