Oshoをひとことで言うと

Oshoのような広大なる人物をひと言でいうことはできないことを百も承知で、Oshoをひと言で言うと、どうなるか?

「広大なる人物」と書きましたが、私が知る限り、彼ほどの業績を人類に残している人を知りません。しかもその範囲は実に広範囲かつ多岐にわたっています。

彼が仏陀の言葉を語るときには、まさに仏陀であり、老子の言葉を語るときには老子その人であり、キリストの言葉を語るときには、まさにキリストとして語ります。彼らが残した経典を解釈したり、注釈をつけるのではなく、まさしく、その人として語ります。

彼が話すときは仏陀に「なりきって」とか、キリストに「なりきって」というのではなく、また仏陀の言葉に「ついて」語るとか、キリストの言葉に「ついて」解説する、というのでもありません。

彼が語るときには、仏陀と同じ意識で語り、キリストの意識で語っているので、彼の講話を聞いているときには、まさに現代に出現した仏陀やキリストが話している感じなのです。

ですから、ひと言で彼のことを言い表すとすれば、彼のことを「現代に出現した仏陀だ」という人がいれば、キリストだとか、老子とか、ソクラテスのような人と言う人たちがいます。

あるいはより本質的には、慈愛の人だとか賢人、聖者、マスターの中のマスターだと言う人たちもいます。

かと思えば、彼の反逆的な側面に着目して、「反逆のブッダ」という本もあるように、反逆の人、スピリチュアルテロリスト、現代の人類の意識に革命を起こした人だと言う人たちもいます。

ところが、その彼自身は、自分のことを「オーディナリー」(普通の人)だと何度も語っています。
あるいは、誰でもない人(ノーボディ)とも言っています。

実際、Oshoに会って彼の目を見た人は、「そこには誰もいない」というふうに感じたということを何度か聞きましたし、私も Oshoの目を見たときに「そこには誰もいない」と感じてびっくりしたことがありました。

そんないろんなOshoへのさまざまな評価がある中で、私があえて彼のことをひと言で言い表すとすれば、

「究極のエンターテイナー」だと思います。

今から振り返っても、Oshoといたときほど楽しく、遊びに満ちたひとときはありませんでした。
今、思い出しても、ほんとうに楽しかったひとときは彼とともにありました。

その彼の言葉で最も気に入っている言葉のひとつは、

Enlightenment is the ultimate entertainment.

という言葉です。

「悟りは究極のエンターテインメントだ」

もともと私が禅に興味を持って坐禅に凝ったり、いろんな瞑想をしたり、挙げ句の果てにマスターを求めて、Oshoに会いにいったのは、その悟りを求めてのことでもありました。

その悟りがエンターテインメント?!

その言葉を聞いたときは実に意外でしたが、Oshoは、まさにその究極のエンターテインメントを生きている人でした。
悟りを得た意識にとっては、この世はエンターテインメント。

Oshoが描いた絵のシリーズに「リーラ」シリーズがあります。

彼の絵のシリーズにそのタイトルを付けたは、彼が描いた絵はまさにリーラだと感じたからです。
リーラとは宇宙的遊び、という意味です。
まさにOshoは宇宙的遊び人。
宇宙と戯れた、遊び心を持った人でした。

それを思い知った、今もありありと思い出すある、出来事がありました。
当時、彼はある出来事のおかげで目を悪くしていて、サングラスを着用して講話に現れていました。
彼はいつも講話をするステージにナマステー(合掌)をしながら現れ、その彼の合掌の挨拶に、ステージを取り巻いて座っている数千の人々が彼に静かに合掌を返していきます。

彼が講話をするためにポーディアム(講話をする舞台)に現れると、その半径3メートルほどの半円になっているポーディアムの左の端から180度の半円の舞台の縁に沿って、ゆっくりと右へと、集まった人たちに丁寧に合掌していくのですが、それが終わって彼が講話をするいつもの椅子に座るまで、彼が現れてからだいたい約5分ないし10分ぐらいはかかるのです。

ところが、その日は違っていました。
彼がいつものように合掌をしながらポーディアムに現れると、それを最初に見た左の人たちがみな笑い転げているのです。
ちょうど中央あたり、つまり入り口から90度のところに座っていた私には、彼の横からの姿が見えるだけなので、なぜ人々が彼を見ながらそんなに笑い転げているかわけがわかりません。

そして、彼がゆっくりとその合掌しながらポーディアムのふちに沿って、ゆっくりと歩みを進めながら体をこちらに向けてきたときに、彼の顔を見て、そのあまりの意外さに、私もその笑いの渦と一緒になっていました。
なんと、彼の黒いサングラスの縁が、赤いネオンのような光で点滅していたのです。
それはちょうど、仏陀に会って合掌して挨拶している、その厳かなときに、その仏陀が赤いネオンの光の点滅したサングラスをしている姿を想像してもらえるとわかると思います。
まさに常識が覆された衝撃の一瞬でした。

彼のよく言う言葉のひとつに「深刻さは病気だ」という言葉があります。
彼の晩年の2年間は「禅」の講話を中心に話していましたが、その彼の講話の最後にジョークを読み上げるのがつきものでした。
ジョークを聞いた人たちの、その笑いの渦の中で講話が終わるのです。

禅の公案のような話に深刻にならないようにという彼の配慮でもあったのでしょう。
彼の講話の最後に話すためのジョークを作る専用のチームがあったほどです。

ところが私はといえば、彼の講話の英語は理解できたものの、そのジョークの英語はスラングなどがあって、みんながそのジョークで笑いころげているのに、その英語がわからないため笑うことができず、講話の後で「あのジョークってどういう意味だったの?」と英語のネイティブの人に解説してもらってからやっと笑う始末。
せっかくのジョークが笑えなかったという、笑えない、悔しい思い出です。

それはともかく、彼の笑顔もまた格別でした。
ごくたまに、彼がジョークを読みながら、まだそのジョークを話す前に彼がくすくす笑いをするときがありました。すると、まだジョークを聞いてもいないのに、彼と一緒にみんなが笑い出してしまうのです。
彼のくすくす笑いが、そこに集った数千の人たちに伝染してしまうのです。

彼が微笑むと存在そのものが微笑む。
そんな笑顔を持った、究極のエンターテイナー。
それがOshoでした。