瞑想の起源はセックスのオーガズム?

オーガズムの体験は
けっして性的ではない

たとえセックスによってオーガズムに到達したとしても
オーガズム自体に性欲はない

性的ではない方法によって
オーガズムに到達する可能性があるかもしれない
という洞察はそこから生まれる

オーガズムそのものが性的でないのだから
性欲は、かならずしも唯一の途ではないはずだ

誰であれ、これを最初に体験した人はみな
オーガズムに到達する途がほかにもある
という結論に達したに違いない

セックスはかならずしもそこで役割を持つ必要がないからだ
オーガズムにはセックスのいかなる色彩も印象も残っていない

そこでその人は
どのようにしてオーガズムが起こるかを観察したに違いない

その後のことは明白だ
オーガズムが起こる瞬間に時間が停止する
あなたは時間を忘れる
マインドが停止する

あなたはもはや考えない
そこには,計り知れない静けさと大いなる覚醒がある

この体験を通過する観察者は
みな自然に次のように考えるだろう

「もしこのようなこと― 覚醒、無思考、無時間を
セックスなしに達成することができれば
性欲を介さずにオーガズムの状態に到達できるはずだ」

そして、これが私の見解だ一ー
このようにして
人間は初めて瞑想を発見したに違いない

ゴールド•ナゲッツ

OSHOの話を聞いていると、「え~!」っていう話にぶち当たります。

いわゆる「マインドがぶっ飛ぶ」ような話で、「そりゃないだろ!」というような話です。

今でこそOSHOのその手の話には慣れて、静かに聞いていられますが、最初のころは「え~!」「え~~!!」「うそだろそれ!」「なんで?」「ありえない!!」とマインドが叫び声をあげながら聞いていたものです。

まぁ、もともとOSHOはマインドで話していないのだから、マインドで聞いていると、マインドがぶっ飛ばざるを得ない、と言えばそれまでなんですが。。。

セックスはターブではなくなる」という先日のブログでは、セックスがタブーになっているのは、セックスとその他の多くのものごとが同一化されているからだ、というふうにお話ししました。

マインドはさまざまな既成概念や条件付けでがんじがらめになっているので、そのマインドのしがらみから出るのは至難の業です。

OSHOのようにマインドにしがらみがない人の話を聴くことは、そういうマインドから出るひとつの機会でもあります。

この話もそうです。

瞑想の起源は、セックスのオーガズムだ」なんて聞くと、私のマインドは「え~~、うそだろ! でも、なんで??

というふうに、ショックを受けて、興味を持ちます。

オーガズムの体験は
けっして性的ではない

なんていきなり言われても、

いや、それは違うだろ、だって、オーガズムはセックスのクライマックスなんだから」と私のマインドはつぶやきます。

たとえセックスによってオーガズムに到達したとしても
オーガズム自体に性欲はない

オーガズム自体に性欲はない? それってどういうこと?」と私のマインド。

性的ではない方法によって
オーガズムに到達する可能性があるかもしれない
という洞察はそこから生まれる

なんや、その洞察? そんな洞察どこからくんねん??
とマインドのつぶやき(すんません、大阪出身なもんで、つぶやきはいまだに大阪弁)

オーガズムそのものが性的でないのだから
性欲は、かならずしも唯一の途ではないはずだ

オーガズムそのものが性的でないのだから 、って言われてもなぁ

誰であれ、これを最初に体験した人はみな
オーガズムに到達する途がほかにもある
という結論に達したに違いない

ふぅ~ん。誰やそれ?

セックスはかならずしもそこで役割を持つ必要がないからだ
オーガズムにはセックスのいかなる色彩も印象も残っていない

ふ~ん。もし、オーガズムそのものが性的でない、って言えるんやったら、論理的にはつじつま合うね

そこでその人は
どのようにしてオーガズムが起こるかを観察したに違いない

観察したんはOSHO、あんたやろ

その後のことは明白だ
オーガズムが起こる瞬間に時間が停止する
あなたは時間を忘れる
マインドが停止する

あなたはもはや考えない
そこには、計り知れない静けさと大いなる覚醒がある

う~ん。まぁ、言われてみれば、そういうふうにもいえないことはないな。一瞬やけど

この体験を通過する観察者は
みな自然に次のように考えるだろう

「もしこのようなこと― 覚醒、無思考、無時間を
セックスなしに達成することができれば
性欲を介さずにオーガズムの状態に到達できるはずだ」

へぇ~。そんなん考えたことなかった

そして、これが私の見解だ一ー
このようにして
人間は初めて瞑想を発見したに違いない

ひぇ~、ほんまかいなOSHO?!
 お釈迦さんはそんなことゆうてんへんけど?? 
 また、また、また~、OSHO! なんという口からでまかせを!

というふうに私のマインドはつぶやきながらこの話を聴くわけなんですが、でも、後で考えると「あながちでたらめでもないかもな?」とマインドは考えはじめます。

まぁ、確かになー。瞑想しているときの快感って、似てるとこあるよな。

 ほんなら瞑想だけしてても同じことか?

 それでオーガズム得られるんやったら、もっと瞑想したらどないなるんやろ?

とまぁ、私のマインドは単純なもんで、そうやってOSHOに騙されて、瞑想にのめり込んだんですね。

ほんとのところいうと、瞑想って気持ちええからやるんですよね。

あの快感にはまってしまうと抜けられない。

深刻な顔してまじめに瞑想しているようですけど、ほんとはそういうオーガニズムを求めて瞑想を発見したなんて、人間もやりますねぇ。

☆ランキングに参加しました!
よろしければ、クリックお願いします☆

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 瞑想へ
にほんブログ村