今ではサニヤス名(Oshoの弟子になった時にもらう名前)とはいっても、全くの自由。
さままななサニヤス名のリストもインターネットで公表されているので、その中から自分で好きな名前を選んで名前にすることができますし、サニヤス名を使うも使わないも自由です。
唯一弟子としての条件があるとすれば、瞑想すること。
そもそもOshoの肉体はないのだから、弟子になることには意味がない?
(なぜ疑問符なのか? これについては、またどこかで書くことになるだろう)
でも、仏陀がいなくなっても仏弟子があるのだから、肉体を離れたOshoに弟子があっても少しもおかしくはないけれど、Oshoは既成宗教を痛烈に批判した人でもあるので、もちろん後継者も残さなければ、宗教組織も最初かありません。
今ではOshoと呼ばれていますが、生まれてからの名前としては、チャンドラ・モハン・ジャインという名前でしたし、1970年代、彼が独自の活動を始めたころからはバグワン・シュリ・ラジニーシという名前で呼ばれていました。
そして最晩年、Oshoは禅の講話についてもっぱら語り、禅の逸話ではマスターのことを和尚(Osho)と呼んで、禅問答が繰り広げられています。
その禅の講話を題材として講話をしていた彼も、和尚(Osho)と呼ばれることになりました。
そして、1989年9月からはただ、和尚(OSHO)、とのみ呼ばれることになりました。
今から思えば、そのときすでに彼は肉体を離れる準備をしていたのです。
Oshoは以前の自分の名前も落とし、跡形もなく消え去りました。
それが和尚、Oshoとなったことの意味でした・・・
それにして今では、膨大な講話が残されています。
それはともかく、その当時、彼の弟子、サニヤシンというのは、とてもユニークな人達が多くいました。
当時、彼のサニヤシンは、彼の顔写真の入ったロケットをつけたマラ(バラの木の108の数珠で作った首飾り)を首にぶら下げて、オレンジのローブを着ることも条件でした。
なので、オレンジピープルという呼び名があったくらいです。
そして、ひげをはやしたヒッピーぽい人達が多く、一般の目から見たら、異様な人達。
ちょっとどころかだいぶ変わった人達が多かったです。
(でも、自分がサニヤシンになってつきあって話してみると、普通の人たちでした。でも、それは私もサニヤシンになって変になったからかもしれませんが笑)
Oshoに会いに行ったのは、Oshoの本を読だときに、「この人は仏陀だ!」と思ってしまったので、会いたくなってしまったのでした。
当時、私は禅に凝っていて、道元が好きだったので、道元や仏陀のような人に会いたいと思っていたのでした。
禅では、その修行をするにあたって、自分の師に出会うことがとても大切で、昔は、禅の修行僧は師を求めて寺から寺へ渡り歩いたそうです。
私は出家していたわけではないので、そのような禅の師を求めるわけにはいきませんでしたが、いろんな本を読むなかで、この人には会いたいというインスピレーションがあった人には会いに行っていました。
Oshoの本を読んだときには、この人には絶対に会いたいと思ったのでした。
というわけで、彼には一目会いたいと思って、当時アメリカにいたOshoに会いに行ったのでした。
とはいえ、赤い服を着た、ヒッピーのようなサニヤシンになってしまったら人生はそれで終わってしまうと思っていたのでl絶対にサニヤシンにはなりたくはないと思っていました。
それなのに、Oshoに会って2週間後には、赤い服を着て、マラを下げ、「Gatasansa」という名前になった自分がいました。
当時、自分で自分を何とかしようともがいていたのですが、結局は自分では何ともならない、ということもわかりかけていました。
だって、自分のことがわからないのに、自分で自分のことを何とかできるわけがないのです。
Oshoが、このようなことを言っているのを耳にしたことがあります。
「目の見えない人が目の見えない人を導いてどこに行こうというのかね?
両方ともが溝に落ちるのが関の山だろう。
どこかに行きたいのなら、目の見える人が必要だ」と。
私から見れば、Oshoはまさに目が見えている人だでした。
覚醒した人、悟りを得た人というのはまさに彼のような確信したのです。
でも、Oshoに言わせれば、
「目の見えない人にとっては、誰が覚醒しているかさえ、見えない」と。
だから、
「自分がマスターを選んで弟子になると思うのも勘違いで、弟子を選ぶのはマスターの方だ」と。
そう言われみれば、それは筋が通っているように思われました。
理屈はどうあれ、もうそのころの自分には限界が来ていたことは確かで、自分ではどうしようもないこともわかった以上、Oshoに明け渡すしかなかったのでした。
サレンダー。
仏教には三帰依文というのがあります。
南無帰依仏
南無帰依法
南無帰依僧。
仏陀に帰依し、
法(真理)に帰依し
僧(サンガ)に帰依する。
というわけで、仏陀帰依することになったのでした。
つまり、Oshoにすべてを明け渡すしかなくなったのでした。
それのOshoの弟子になることになりました。
アメリカにいた時は、それでもよかったのです。赤い服を着ていようと、マラを下げようとガタサンサと呼ばれようと、旅の恥は掛け捨て。
誰も私のことを知らないわけだし。でも、日本に帰った時は、それはとんでもないことでした。
というわけで、つづきは次回に。
Love
Gatasansa