勇敢な者と臆病者の違い  その1

今回は勇気についてのOshoの言葉を
何2回に分けて、お届けします。

未知の世界に踏み出すのは怖いことです。

これまで経験したことのない、
新しいことにチャレンジする時、

目に見えない世界を探求する時にも、
常に手探りで進まなければなりません。

あるいは、今の世界のように
大きな変化の時代にあっては、
常に新しいことに直面しなければなりません。

そんなときに読んでみると、気づきを得られるでしょう。

Oshoの言葉
勇敢な者と臆病者の違い その1

常に覚えておきなさい。
勇敢な者と臆病者の違いは、
勇敢な者には恐れがなく、
臆病者には恐れがある
ということではない。

そうではない、それが違いではない。
どらにも恐怖はある、
同じだけの恐怖が。

では、どこが違うのか?

違いは、
勇敢な者は
その恐怖にもかかわらず進み、

臆病者はその恐怖のために
立ち止まるということだ。

どちらにも恐怖はあるのだ。
        Osho

勇敢な人には恐怖がないのでは?

と思いがちですが、そうではない、とOshoは言います。

勇敢な人にも恐怖はある、っていうことを知ると、

自分も勇敢になることができる、って思いませんか?

もし恐怖をもたない勇敢な者を
見つけることができたら、

どうして彼を勇敢と
呼ぶことができる?

彼は機械ではあるだろうが、
人間ではない。

恐怖を持たないのは機械だけだ。
だが、機械を勇敢とは呼ばない。
どうして機械を勇敢と呼べるかね?

勇気が意味することは単純だ。
恐怖にもかかわらず何かが
起こっているということだ。

そこに恐怖はある。
そこにおののきはある。
だが、それでもあなたは止まらない。

恐怖によってあなたは妨げられない。
あなたはそれを踏み台にする。
震えながら、慄きながらも、
未知の世界に足を踏み入れるのだ。
           Osho

私たちは人間です。
恐怖はあって当然なのです。

にもかかわらず、未知の世界に足を踏み入れること。

それが勇敢ということの意味することなのですね。

勇敢というのは、恐怖がないことではないんです。

勇気が意味することは単純だ。
恐怖にもかかわらず何かが
起こっているということだ。

恐怖に関わらず、
何かやりたいことがあるということですね。

でも、勇気がないからと言って、諦めてしまいがちです。
自分にはできない、と。

でも、それは違う!
とOshoは言っているわけです。

そこに恐怖はある。
そこにおののきはある。
だが、それでも
あなたは止まらない。

恐怖によってあなたは妨げられない。
あなたはそれを踏み台にする。
震えながら、慄きながらも、
未知の世界に足を踏み入れるのだ。

恐怖は踏み台なのです。飛び込み台に立つようなものです。

でも、一歩踏み出して仕舞えば、あとは、頭は真っ白で、ノーマインド。

瞑想の世界、未知の世界に足を踏み入れることになるわけです。

今日はここまでにします。

えたに