完璧である必要はない

Oshoの言葉

完璧である必要はない

私は、あなたに
何度も何度も思い出してほしい

私は不完全であり、宇宙全体も不完全だ
そして、この不完全さを愛しなさい

この不完全さを愛すること
この不完全さのなかで喜ぶことが
私のメッセージのすべてだ

私は、あなたに完璧であってほしくない
できるだけ完璧に不完全であってほしい。

不完全であることを喜びなさい!
自分がとても
普通であることを喜びなさい!

いわゆる聖人君子に気をつけなさい
彼らは皆、まがいものだ。
もし、His Holiness(聖下)のような
大げさな言葉が好きであれば、

HHではなく、
His Very Ordinariness(非常に平凡)ーー

HVOのようなタイトルを作るといい!

私は、普通であることを説いている。
私はどんな奇跡も主張しない
私はシンプルな人間だ

私はあなたにも、
とてもシンプルでいてほしい

これらの二つの極性
罪悪感と偽善の極性を
取り除くことができるように

そのちょうど真ん中に正気がある
       Osho

Oshoは常に、
「自分は普通の人間だ」
と言い続けています。

Oshoほど特別な人間はいない、
と思えるほどなのに。

ところが、皮肉なことに、

誰もが、特別な人間になろうとしていながら、
平凡なままで止まっています。

その違いはどこからくるのでしょう?

Oshoが、自分は普通の人間だ、
と言い続けているのは、

彼には、自分が特別だと主張する
エゴがなくなっているからです。

特別な人間であろうとするのは、
エゴの作用です。

そして完璧であろうとするのも
エゴの作用です。

完璧を目指すからこそ、
進歩し、向上するのだから、

どうして完璧であることが悪い?

って思ってしまいますが、

完璧というのは、
どこまで追求しても果てがありません。

完璧であろうとする努力が落ちたとき、
今ここにいることができるようになり、

そのとき、くつろぎがやってきて、
今ある不完全のままで完璧だ、

という感覚がやってきます。

> できるだけ完璧に不完全であってほしい。

>不完全であることを喜びなさい!
> 自分がとても
>普通であることを喜びなさい!

というふうになってきます。

> この不完全さを愛すること
> この不完全さのなかで喜ぶことが
> 私のメッセージのすべてだ

不完全さを愛することは、
今ここにいる、あるがままの自分を
愛することにつながるように思います。

> 私は、普通であることを説いている。
> 私はどんな奇跡も主張しない
> 私はシンプルな人間だ

Oshoは奇跡を主張しない人です。

しかし、不思議なことに、

Oshoの周りには、奇跡的なことも
普通にいろいろ起こっていたようです。
https://oejbooks.com/2016/02/20/the-miraculous-power-of-osho/
https://oejbooks.com/2016/02/19/miracle-of-heart-prayer/
https://oejbooks.com/2016/01/04/psychic-abilities-of-osho/

今日はここまでにします。

えたに