気づきには伝染性がある

Oshoの言葉

気づきには伝染性がある

私は、あなた方全員に、
深く、強烈に、
情熱をもって生きてほしい

そこにはただひとつだけ
条件があある:

注意深くいて、油断なくいて、
目撃していることだ。

そして困難が
生じることはわかっている

なぜなら、あなたは何百万もの
居眠りしている人々と
生活しているからだ

そして眠りには伝染性がある
ちょうど気づきに
伝染性があるのと同じように。

気づきもまた、伝染性があるーー
それゆえ、マスターと
共にあることの重要性がある

マスターはあなたに
真実を与えることはできない

誰も、誰に対しても、
真実を与えることはできない

真実は譲渡することができない。

では、マスターの役割は何だろうか?
では、マスターを探し求めることの
意義は何だろうか?

では、そもそもなぜ弟子になるのか?

それでもなお理由がある
その理由とは、
気づきは眠気と同じくらい
伝染性があるからだ
      Osho

その人がどういう友達とつきあっているか
どういう環境にいるかで、
その人の人生が決まる

とも言われています。

それだけ、環境というのは
大きな影響があります。

なぜ、それほど環境が
大きな影響力を持つのでしょうか?

それは私たちが無意識の中に生きている
ことに原因があるように思います。

私たちの意識の95%ないし99%は
無意識でできているとも言われています。

意識は氷山の一角で、
99%が無意識に動かされて
生きているわけです。

私たちは物心のつかない子供の頃から
両親や周りの人たちの言動によって影響を受け、
学校教育によっても影響を受けます。

それによって、物事の考え方、
信念や習慣などを身につけるので、
それらのプログラムは
無意識の中で動いています。

目覚めた人、悟った人によれば、

私たちは、意識している、
目覚めていると思っていても

それさえも、
夢の中で生きているのと変わらない、

と言われるわけなので、

その観点から見れば、
100%無意識の中、
夢の中に生きていると
言えるかもしれません。

そのような環境の中にいる限り、
目覚めるとか、気づくということは
そもそも、意識に浮かぶことさえありません。

なぜなら、私たちは、
そのような眠った人たちの中に
生きていることになるからです。

私たちの意識の中に、
目覚めるとか、悟るというような
考えが入ってくるのは、

仏陀をはじめとする、
目覚めた人や、悟った人の
存在と言動があるからです。

そのような人の言動が、
私たちの心(ハート)に響いたときにはじめて、

「そのような世界があるのかもしれない」
という考えが初めて頭に浮かぶようになるのかもしれません。

そのような真理に心の琴線が触れたときに
初めて、何かが内側で目覚めるわけです。

そして、もっと目覚めたいと思ったときに、
マスターを探し求める、
ないし、そのような世界を探し求めることが
始まります。

しかし、その真実はマスターから
与えてもらうことはできない、
ということにも気づかされることになります。

>マスターはあなたに
>真実を与えることはできない

> 誰も、誰に対しても、
>真実を与えることはできない

> 真実は譲渡することができない。

それは自分で見出すしかないものなのです。

そのようなときに助けになるのが、
そのような目覚めた人の気づきです。

Oshoの言葉は、
そのような気づきを
もたらしてくれるものです。

今日はここまでにします。

えたに