OSHOへのYouTube質問シリーズ
今回のOSHOへの質問は、「あなたは誰ですか?」
誰しも一度は自分自身に対して疑問に思ったことがあるでしょう。
「ここはどこ? 私は誰? 私はどこから来て,どこへ行くのか?」
別の言い方をすれば、自分は何のために生まれて、何をしに生まれてきたのか?
人生の目的、使命、人生の意義、自分の存在意義、ヴィジョン、という言い方でなされることもあります。
禅では「父母未生以前の本来の面目如何」という漱石も取り組んだという有名な公案があります。
OSHOが、そのことを質問されたのです。
私はこの講話のときにはインドのプネにいて、OSHOの講話を聞いていたのですが、その質問を聞いた時には一瞬、
「OSHOはなんて答えるんだろう?」
という興味でいっぱいになりました。
悟りを得ている人は、この公案になんて答えるんだろう?
おそらく、それを聞いていた人たちも同じ思いだったのでしょう。
OSHOが話しだすまでの間、そのひとことを固唾をのんで待つ人たちの沈黙が広がります。
OSHOはその質問が読み上げられると、おもむろに傍らに置いてあった質問者からの質問が書いてあるクリップボードを手に取り、膝において、しばらくその紙に目を落とします。
そしてまた、しばらくの沈黙があり、語りはじめます。
「マニーシャ」
マニーシャとはOSHOの講話の始めに、彼がその日それについて話すことになっている経典や逸話、書籍のテキスト、そして質問などを読み上げる係の人の名前です。
OSHOの図書館などのケアなどもしていた人です。
マニーシャからの質問がなされると、OSHOはいつも、そのときになって初めてその質問を聞いたかのような独特のしぐさがあり、しばらくの沈黙があるのです。
それはちょうど、どこからともなくやってくる言葉を待っているかのように感じられます。
このときにも、その同じしぐさのあと、やっとOSHOが口を開きました。
OSHOの言葉はいつも驚きに満ちています。
どうして、いったいどこからそんな言葉がやってくるのだろうと思われることがしばしばです。
しかも、それはなんとユーモアに満ちていることか。
しかも、それらの言葉は本当にこころからうなづくような言葉なのです。
自分が感じていて、言葉にできなかったことが、OSHOの口から溢れ出てくるのです。
まさにハートが、「そうだ、その通りだ、その通りだ」とうなずいているのが自分でもわかるほどなのです。
このときもそうでした。
OSHOの答えのひと言めが口に出されると、一瞬の間を置いて、笑いが広がります。
それはそこにいた多くの人たちも同じ思いだったのでしょう。
「あぁ、そうだったよね。それでOSHOのもとに来たんだもんね」とでもいうような雰囲気が漂います。
それでは、そのOSHOの答えを聞いてみてくださいね。
私のとても好きな講話のひとつです。
このOSHOのひと言ひとことを聞いていると、「あぁ、まさにそのために自分はOSHOに出会ったのだ」という胸の奥深くの何かが揺すぶられて、涙が溢れ出てきそうになります。
それはまさに自分は誰かということへの答えでもあるのですから。
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