今回のOshoの講話は、子供の育て方についてです。
質問は
子供の自然な潜在力を邪魔することなしに
子供の成長を助ける 正しい方法とは何でしょうか?
これに対するOshoの第一声は
「子供を助けるのは間違っている」
というのだから、思わず「え~~!」と声に出しそうになりますが、ゆっくり、じっくりとOshoの言うことを聴いているうちに、あぁ、そうだよねぇ、とだんだん納得していきます。
Oshoの話を聞いているうちに、いかに大人が子供に勝手な介入をして、子供の潜在力を邪魔しているのか、その可能性を破壊しているのか、ということがわかってきます。
そのやり方は,別に子育てに限ったことではなく、夫婦間においても、恋人間においても、あらゆる人間関係にもいえることです。
ずいぶん以前のことになりますが、Oshoのビジョンに基づく子供の学校がイギリスにありました。
コスワンという名前の学校で、サニヤシンの子供達がよく預けられていました。
小学生から中学生ぐらいまでの子供が通うことができる学校で、寄宿制で夏休みや冬休みに両親が引き取りにいきます。
ヌラとラハシャの子供、ビンドゥもそこに通っていました。
ラハシャから伝え聞いたところでは、そこでは、子供が何を学ぶかは、子供の選択にまかされているそうです。
つまり、子供が興味を持って学びたいと言うまでは、教師は子供に介入しないのです。
ラハシャが話してくれましたが、ビンドゥはかなり高学年になっても字を覚えようとせず、医学博士で学校の勉強もよくできたラハシャとしては気が気ではなく、ずいぶん心配したと話していました。
ところが、あるときビンドゥは字を書くことに興味を示すと、あっという間に読み書きができるようになって、他の生徒を追い越してしまったのだそうです。
Oshoは次のように語ります。
どのような方法であれ
子供を助けるのは間違っている
助けるという発想そのものが正しくない
子供に必要なのは愛だ 助けではない
子供に必要なのは滋養や支えであって
助けではない
そして、どうして「助ける」ということがそれほど間違ったことなのか、ということをOshoは説明していきます。
だから「正しく助ける方法などない」と話します。
では、私たちはどうすればいいのか?
そして「助ける」という名のもとに何が行われているか、ということについても説明しています。
まさか「助ける」ということの背後に、それほどの人間心理の問題が潜んでいたとは思いもよらないことでした。
いつもながらのOshoの意外な論理展開、鋭く深い人間洞察をお聴きください。
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今日はここまでとします。
えたに