今回のOsho講話は、セックスとは生命力にほかならない、というすごく真っ当なお話。
なぜ、Oshoがわざわざこのようなことを言わなければならないかというと、「セックス」というのは私たちのなかの最も重要なフォース(力)にも関わらず、その言葉を使うだけで、罪悪感を感じたり、何か悪いことをしている気持ちになってしまうので、「生命力」というふうに言った方がいいでしょ、ということです。
実際、このブログでも、「セックス」という言葉を使うだけでもちょっとためらわれるし、気を使います。
もともと宗教によって抑圧されたシステムの副産物のひとつとして、フロイトやアドラーやユングが必要になっただけで、もし宗教がなかったら、それらも必要でなかっただろう、とOshoは語っています。
たったひとつの言葉にすぎないのに、そこにどれだけ多くの条件付けがなされてきているのかは驚くばかりです。
ことは生命力に関わる問題なだけに、そのことに罪悪感を持たされたり、悪いことをしている気分にさせられれば、自分を愛することさえ難しくなりますよね。
3分ほどの短い講話です。
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今日はここまでとします。
えたに