OSHOが肉体を離れた日 その2
OSHOが最後にブッダフィールドに現れてたのは1月16日で、肉体を離れたのは、その3日後の1月19日でした。OSHOは、悟りを得た人が肉体を離れたときに起こる、さまざまな現象についても語ったことがありました。その悟りの意…
OSHOが最後にブッダフィールドに現れてたのは1月16日で、肉体を離れたのは、その3日後の1月19日でした。OSHOは、悟りを得た人が肉体を離れたときに起こる、さまざまな現象についても語ったことがありました。その悟りの意…
私がOSHOの死を知ったのは、OSHOが肉体を離れた日の夜中の12時ころの電話でした。その日、アシュラムにいた友人が電話で知らせてくれたのです。 私たちは、そのころ伊東の小室山にある別荘地に、友人たち数人と住んでいまし…
この時期、Oshoの肉体と私たちとが出会うことができる時間は、 秒読みの段階に入っていました。 Oshoがそんな状態であったにもかかわらず、シュンニョが書いているように 「Oshoはこれからも何年も私たちとともにいるだ…
OSHOは新しい寝室には2週間だけいただけで、もといた寝室へと戻ってしまいます。 しばらく会わなかったOSHOを目にして、彼があまりに変わっていたのでシュンニョは驚きます。 彼の身ごなしが変わり、より光明を得たかのよ…
マスターのもとで、マスターに使えるというのは、ある意味とても大変なことです。 マスターの仕事は、弟子を目覚めさせることであり、マスターはあらゆる機会を使って、弟子が無意識から目覚める状況を作ります。 マスターのもとにあっ…
OSHOの専任の歯科医にデバギートという人がいます。 OSHOの住んでる館には、彼が歯の治療を受けるための専用の部屋が設けられていたぐらいです。 OSHOが、その歯科のセッションの合間に話したことが3冊の本にもなったぐら…
OSHOは自分でデザインした新しい寝室(のちにサマーディという、みんなが瞑想するための部屋になる)に移りましたが、そこでは健康のさらなる悪化に苦しみ、ほとんどなにも食べない日が続きました。 そんな状態が数週間、水だけを飲…
私たちはよく「自分のあるがままでいたい」というふうに思います。 自分のあるがままを生きたいとも思います。 それでは「自分のあるがままを生きる」とは、どういうことでしょう? それは自分の真実を生きる、ということです。 つま…
Oshoの言葉を読んでいると、なるほど、そういうところに根本原因があったのか、と目からウロコの発見が往々にしてあります。 怒り、憎しみ、嫉妬、所有欲、悪賢さといったことについても、その根本原因は、それが動物的本能に根ざし…
人生には、自分の意識を向けたことが成長するという法則があります。 自分がそのことにどれだけ時間を使い、どれだけフォーカスし、どれだけ情熱を注いだか、そのエネルギーを注いだことが成長します。 たとえばスポーツなら、得意とす…