シュンニョの関係性
ここでシュンニョは、自分の関係性についての問題と、Oshoがシュンニョの関係性をどのように助けたのかということについて書いています。 私が聞いた所によると、Oshoは、探究者の道としては、2つの道があると言っています。 …
ここでシュンニョは、自分の関係性についての問題と、Oshoがシュンニョの関係性をどのように助けたのかということについて書いています。 私が聞いた所によると、Oshoは、探究者の道としては、2つの道があると言っています。 …
ポルトガルからインドの帰国の途につき、OSHOのワールドツアーは終わりを告げました。 そのワールドツアーの意義は何だったのでしょう?OSHOという鏡を通して、世界の実態が映し出されたのでした。 そしてOSHOはインドのボ…
OSHOは「インドに帰りたい」と言い、ワールドツアーは終わりを告げることになります。 OSHOの仕事(ワーク)はまだ終わっていません。それをインドで仕上げる必要があったのです。 OSHOは言いました。 「私はもう長いこと…
ジャマイカについて間もなく、警察がOSHOのいた場所を訪れ、パスポートのビザを取り消され、「国家保安上の理由」から、ただちに国を立ち去るように命令を受けます。 みな殺しにでもされかねない緊迫した状況のなかで、ジャマイカを…
OSHOはジャマイカに着きました。OSHOはなんの問題もなく観光ビザを手にいれたのですが、同時にアメリカ海軍のジェット機が、同じ飛行場に舞い降り、 観光ビザは取り消されることになり、「国家保安法に基づく命令」によって、再…
ウルグァイを飛び立って、次に向かった国はジャマイカでした。一方、OSHOと会ったウルグアイの人たちは、政府を相手に訴訟を起こしていました。 政府がOSHOの永住ビザを取り消したのは違法行為だったばかりではなく、それは「ウ…
状況の変化を見て取ったOSHOは、ウルグァイを去りたいと言うようになりました。 そして間一髪、OSHOは逮捕を免れ、ウルグァイを離れたのです。 それと交換に、アメリカ合衆国はウルグアイに対する新たな一億五千万ドルの貸付金…
ウルグァイのOSHOの講話は膨大なページになるほどの量でした。 探究者に取ってはとても貴重な講話です。 反面OSHOの処遇をめぐっての政治的な取引は最悪でした。 アメリカ政府はここにも介入し、ウルグァイの政府との取引が行…
OSHOのまわりには、いつも笑いとダンスとお祭り(お祝い)がありました。 OSHOに言わせれば、深刻であることは病気なのです。 どんな深刻な状況にあっても、それを笑いとジョークとお祝いに変えてしまう。 そんな魔法がOSH…
OSHOがこのウルグァイの講話シリーズを話しはじめたころには、OSHOはもう自分が肉体にとどまっていることができる時間が限られていることをわかっていたように思われます。 OSHOには、もう時間がなかったのです。 にもかか…