内側の世界と外側の世界との境界
私たちは「考える」ことで答えを得られると思っています。 しかし、頭で考えることでは答えをえることができない問題というのがあるように思います。 私が好きなOSHOの言葉に 「生とは問われるべき問題ではなく、生きられるべき神…
私たちは「考える」ことで答えを得られると思っています。 しかし、頭で考えることでは答えをえることができない問題というのがあるように思います。 私が好きなOSHOの言葉に 「生とは問われるべき問題ではなく、生きられるべき神…
「私とはなにか」 それは哲学的な問いとなり得ます。しかし、OSHOは哲学的な回答をしません。質問者が、実際にそのことを体験できるようにと、そのための瞑想をガイドします。 シュンニョは書いています。 「私はひとりで、松やユ…
最近では自分の人生のアドバイザーとして、メンターを持つといいと言われていますが、昔の禅の伝統では、禅の修行をするにあたって自分を指導してくれる師につくというのはとても大切なこととされていました。 自分の師(マスター)を求…
脳とマインドと意識(気づき)との違いやそれらの関係については、いろいろな説があります。 そもそも人間の意識が脳から生じるのか? という問題もあります。 マインドについても、それらは脳からのみ生じるのかどうか、という問題が…
ここでOSHOのいう意識の7つの層というのは、意識の上に、超意識、集合的超意識、宇宙的超意識があり、意識の下に、無意識、集合的無意識、宇宙的無意識があるというものです。 西洋心理学では、フロイトが無意識を発見し、ユングが…
Oshoはここで「観ること」について詳しく、具体的に、その方法を説いています。 「観ること」は瞑想の本質ですが、アメリカなどでは「マインドフルネス」として紹介されることが多いようです。 グーグルやインテルなどのIT企業も…
OSHOがここで語っている「ミステリースクール」は、ある意味、OSHOの居るところにはどこでも「ミステリースクール」とも言えるのですが、OSHOが1986年、インドのプネに戻って、彼が講話を始めたときにも、そこでも「ミス…
OSHOの答えは、ただ現代人に対してだけのものではなく、未来の、全人類に向けてのものでした。 OSHOへの質問は、ただ質問をする人に対してだけではなく、OSHOがいなくなり、OSHOが答えるのをやめたときに生まれてくる人…
このウルグァイでのOSHOの講話は日に2回、40人ほどの弟子たちを相手に、親密な雰囲気のなかで話されました。そこでは、まさにマスターの弟子に対するワークがなされていました。 OSHOの晩年、インドのプネに戻った彼は禅の公…
OSHOは、これほどの仕打ちを全世界から受けながら、これほどの受難と苦難のなかにありながら、OSHOの存在への信頼はいささかまも揺らぐことがありません。 OSHOが語っていることは、机上の空論ではなく、まさに彼自身がこれ…