「一万人のブッダたちへの百話」より
このジョティのOshoの身のまわりで起きる逸話は、私たちが目にすることのなかったOshoの素顔を伝えてくれています。
私がOshoに初めて出会ったのは1985年の9月、アメリカのオレゴンでのコミューンでした。
そのころは、Oshoに会えるのは、彼の講話を聴くときでした。
すでに個人個人に会うということはなく、アメリカのコミューンは広大で、マンディールと呼ばれるOshoが講話をする場所は、1万人以上もの人たちが集う会場で、遠くからOshoを見ることができるだけでした。
ですから、このようにOshoが一人ひとりの人たちにどのように接していたのかということはわからないのですが、ジョティはその様子をいきいきとしたタッチで書いてくれています。
その小さなことの動作のひとつひとつにOshoの無限の愛があふれている様子がわかります。
ジョティは語ります。
「Oshoがこれから汽車でジャバルプールに戻ります。
駅のプラットホームは大変な混みようで、 騒々しさで溢れかえっています。
50人ほどの友人たちがOshoを見送りに集まりました。
Oshoに別れの握手を求める者もいれば、Oshoの足許に触れる人もいて、Oshoは誰かが足に触れるたびに前かがみになって、その人の頭の上に手を置きます。
なかには目に涙をいっぱいに浮かべて、Oshoの姿を見守りながら静かに立っている友人たちもいます。
そんな彼らのところに Oshoは近づいていって優しく抱きかかえ、すぐに戻ってくるから悲しまないようにとことばをかけました。
この友人たちは深く心を動かされ、目から大粒の涙をこぼし、それと同時に顔中を笑みで輝かせました。
涙と笑みはOshoの周りではごくありふれた場面なのです。
突如笛が鳴り響き、全員が身体を震わせました。汽車の出発の合図です。
Oshoは汽車に乗り込み、一扉のところに立 ってナマステの挨拶をし、私に向かって近寄ってくるように手招きをしました。
ステップに飛び乗ると、Oshoは手を伸ばしてある友人が立ちすくむ遠くの片隅を指差し、その女性を連れてくるようにと言いました。
私は躊躇して 「Osho、汽車は出発しようとしているところです」と言いました。
Oshoは断固とした口調で 「いや、まだ出発しない。あそこに行って、あの女性を連れてきな
さい」と言いました。
何百人もの人を押し分けるようにして、急いでその女性のもとへに走っていった私は、その場にたどり着いて驚きました。
母親とはぐれた小さな子どものように泣きじゃくりながらそこで立っていたのはマ・タオだったのです。
タオの手をつかんで汽車をめがけて走り出しました。
一等冷房客室の入り口の扉の前で立って待つOshoのところまでたどり着くのに5分はかかったと思います。
Oshoはタオの頭の上にそっと手を置いて、すぐに戻ってくると約束し、泣かないように言いました。
するとどうでしょう。ここでもあの 「涙と笑み」がタオの顔中に輝き出したのです。
彼女の小さな瞳が夜空に光る星のようにキラキラと光り輝いています。
Oshoが手で優しく触れるだけで、無限の愛を注ぎ込んでいく様子が見て取れます。
そしてそれは献身的な弟子が、 Oshoという泉から永遠の生命の水を飲み始めたようです。
Oshoはもう一度皆の顔を見回して、手を振って別れの挨拶をしました。
それは 「さあ、出 発してもよろしい」と運転手に合図を送っているようでした。
汽車はゆっくりと動き出し、Oshoは私たちにじっと見つめられながら扉のところに立っています。
そのOshoを汽車の姿が見えなくなるまで見送った後、皆互いに抱き合いました。
そしてOshoが去っていった寂しさと、 またすぐに会えるという希望を胸に抱きながら、ひと言のことばも交わさずにプラットホーム を出ました。
ある禅の俳句を思い出しました。
本来の面目坊が立姿
ひとめ見しより恋とこそなれ 」
今日はここまでにします。
えたに