「家族に対する責任」シリーズ(5)

 

「家族に対する責任」シリーズ(5)

Oshoの言葉:

ただ自分自身でありなさい
沈黙し、平和で瞑想的でありなさい

すると愛が津波のように押し寄せ、
あなたの内側に隠されている
未知なる源から
あなたの元へとやってくるだろう

それらの源は、
世界中のどんな大海原にも匹敵する

そして、あなたは
誰にも屈辱を与えることなく、

自分のエゴを養うことなく
その愛をわかち合うことができる

この二つは、責任によって行われる、
それはあなたのエゴを養い、
強くし、相手を辱める

あなたは意識していないかもしれないが、
責任感から何かをするときにいつも、
相手は決してあなたを許すことができない
あなたは相手を侮辱したからだ

だが、あなたが愛によって
何かをするときには

誰もどんな屈辱を感じることもない
なぜなら愛は謙虚だからだ
愛は人を貶めることはできない
         Osho

今日からのOshoの言葉は、
同じ質問に対するOshoの言葉ですが、

前回までとは別の箇所から引用しています。

Oshoは、責任からではなく、
愛から行動しなさいと言っているわけなのですが、

じゃぁ、その愛というのは、どうやって手に入れるの?
ということが疑問になってきます。

この講話の中で、Oshoはそのことについて答えています。

自分の存在の中に見出す愛とは、どのように見出すのか?

ということについての答えです。

責任からではなく、愛からなされるべきだというなら、
そのOshoが語っている愛とはどういうものなの?

という質問が出てくると思うので、その箇所を探してみました。

その愛を自分の存在の中に見出す方法というのがこれになります。

ただ自分自身でありなさい
沈黙し、平和で瞑想的でありなさい
すると愛が津波のように押し寄せ、
あなたの内側に隠されている
未知なる源から
あなたの元へとやってくるだろう

 

要するに、自分の瞑想を深めていきなさい、ということになりそうです。

この二つは、責任によって行われる、
それはあなたのエゴを養い、
強くし、相手を辱める

 

ここで、この二つというのは、「屈辱を与えること」と「自分のエゴを養うこと」です。

「それは」というのは、責任のことです。

「責任」とはどういう構造になっているのかということがここで分解されています。

「責任」ということをレントゲンをかけて、その内部の構造を見える化してくれているともいえます。

私たちは、これまで「責任を持ちなさい」と教えられてきているので、Oshoのような責任に対する考え方というのは、なかなか理解し難いことかもしれないですね。

これは「責任」ということについて、非常に微細な点にまで、深く踏み込んだ洞察です。

瞑想すると物事がクリヤーに見えるようになる、というふうに言いますが、

Oshoは、その瞑想的観点から、
責任の裏側に隠れているエゴの要素を
明晰に見えるようにしてくれているわけです。

今日はここまでにします。

えたに