かゆみと思考と感情と その8

かゆみについてOshoが語ったのは、以下のような、意外な質問がきっかけでした。

「Osho,
自分の思考や感情を観察していると、
不思議さに満たされる感覚に襲われます。
それらはどこから来て、
どこへ行くのでしょうか。」

今回は、かゆみシリーズ、8回目、最終回です。

Oshoの言葉

いよいよ、ここで、かゆみについて、語られます。

センス・オブ・ワンダーと
ともにいるように。

それは難しい、ほとんど不可能だ。
なぜなら、あなたのマインドは
尋ねるように、質問するようにと
訓練されてきたからだ。

それはかゆみのようなものだ。
あなたはそれをそのままにして
おくことはできない。

あなたはかきたくなる。

しかし、やってみなさい。
かゆいと思うころから始めてみるのだ。

いつか自分の足がかゆくなったら、
そこをかかないように。

ただ待つのだ。
そして、そのかゆみとともにいるように。
どれぐらいそのかゆみが続くだろう?

やがてそれは治まり、解消し、
跡形もなく、傷跡も残らない。

できるなら、
センス・オブ・ワンダーとともにいなさい。

深い忍耐が必要とされる。

なぜならマインド全体が
落ち着かなくなり、こう言う:

「尋ねよ、質問するのだ。

なぜ、このワンダーがある?
このワンダーはどこから来たのだ?
それはどこへ行くのだ?
それはどうなっているのだ?
なぜそうなのか?」

何千もの疑問が湧いてくるだろう。
しかし、センス・オブ・ワンダーと
ともにい続けなさい。

これらの疑問があなたの邪魔をするのを
ゆるさないように。

たとえそれらがあったとしても、
それらに無関心でいるように。

センス・オブ・ワンダー
には注意深くいて、

疑問に対しては注意を払わないでいる。

やがてあなたは、
センス・オブ・ワンダーが

神秘の感覚に消えていることに気づくだろう。

センス・オブ・ワンダーは
ちょうどさざ波のようなもので、

神秘の感覚は大海のようなものだ。

それは海全体だ。
波は消え、静まり
センス・オブ・ワンダーとともに、
あなたはいる。

センス・オブ・ワンダーが
ミステリーへと消えていくとき、

あなたはもうそこにいない。

ただ海のような感覚だけが残る。
全体とひとつであることが残る。
分離が消えてしまったのだ。
それは美しい。
    Osho

このかゆみの瞑想は、
センス・オブ・ワンダーの瞑想です。

Oshoがセンス・オブ・ワンダーとともに瞑想する方法を実況中継してくれているようなものです。

ここで述べられていることは
Oshoの体験でもあるので、
まさに実況中継です。

これはOsho自身が、そのセンス・オブ・ワンダーとともにいて、
そのセンス・オブ・ワンダーとともにいる感覚を、
その瞑想をトランスミッション(伝えて)してくれています。

しかし、わたしたちには、その感覚がわかりません。

そこで、Oshoは私たちにもわかる瞑想法を伝授してくれています。

それがかゆみとともにいる瞑想です。

これやってみるとわかりますけど、難しいです。

最初は小さな痒みからする必要があります。

別に足の裏である必要はなくて、
鼻の頭がかゆくなった時とか、
あるいは、脇腹がちょっとかゆいと感じた時に
やってみるといいでしょう。

かゆみを瞑想にするのです。

この瞑想をするときは、
まずかゆみに気づく必要があります。

私たちは、かゆいときに、
無意識にそこをかいてしまいます。

でも、掻く前に、そのかゆみに気づくことが第一難関です。

そして、次の難関が、そのかゆみに気づきながら、掻かないでいること。

これが瞑想です。

しかし、やってみなさい。
かゆいと思うころから始めてみるのだ。

これをやってみると、
Oshoがセンスオブワンダーについて語っていることが
いかに難しいかが、実感としてわかります。

センス・オブ・ワンダーと
ともにいるように。

それは難しい、ほとんど不可能だ。

小さなかゆみの時は、まだなんとかなりますが、
これが大きなかゆみとなってくると、
それは難しいのです。
ほとんど不可能です。

なぜなら、あなたのマインドは
尋ねるように、質問するようにと
訓練されてきたからだ。

それはかゆみのようなものだ。
あなたはそれをそのままにして
おくことはできない。

あなたはかきたくなる。

まずはかゆみの瞑想からやってみてください。

それができたら、

> センス・オブ・ワンダーとともにいる

という瞑想もできるようになるかもしれないです。

グッドラック!

えたに