惨めさから抜け出すために

私たちはどうして惨めになるのでしょう?

あなたを惨めにさせているのはなんですか?

「くさい匂いは、もとから絶たなきゃだめ!」
というキャッチフレーズで有名なトイレの洗浄剤の広告があります。

同じように、悩みのもとを絶ってしまいさえすれば、いろんなことに悩むこともなくなります。

このOshoの話は、惨めさのもとを絶ってくれるお話です。

それはたったひとつのゲームをやめるだけで良いのです。

そのゲームとは?

それではOshoのお話をお楽しみください。

人々はあなたを評価した
そして、あなたはそれを吟味することなく受け容れてしまった

あらゆる種類の人々の評価に悩まされながら
あなたもまたそのような評価をほかの人々に投げつける

このゲームはすべての均衡を破壊し
人類全体がそれによって苦しんでいる

そこから脱出したければ
まず、自分自身を評価しないことだ

自らの不完全さ、失敗、誤り、もろさを謙虚に受け容れなさい
そうではない振りをする必要はない
ただ、あるがままの自分でいなさい

「 私はこのとおリ ーー 恐怖でいっぱいだ
  暗い夜には外に出られない
 深い森に入ることもできない」とーー

どこが悪い?
たんに、人間的であるというだけだ

一度、自分を受け容れたら
ほかの人々も受け容れることができる

それは、ほかの人々も同じ病気で苦しんでいるという
明確な洞察を得るからだ

そして、あなたが人々を受け容れることが
人々が自分を受け容れることの助けになる

私たちはその全過程を逆転させることができる
あなたが自分を受け容れることによって
ほかの人々を受け容れることができるようになる

そして人々は 自分たちを受け容れてくれる人がいるから
初めて、受け容れることの美しさを学ぶーー

それは何と安らぎに満ちていることか
そして彼らはほかの人々を受け容れはじめる

全人類が
すべての人をあるがままに受け容れるところまで到達すれば
惨めさのおよそ90パーセントはあとかたもなく消え去るーー

惨めさに根拠はない――
あなたのハートは自然に開かれ
あなたの愛は流れはじめる

ゴールド・ナゲッツ

Oshoは

そこから脱出したければ
まず、自分自身を評価しないことだ

と言います。

それでは評価をやめるためにはどのようにすればよいのでしょうか?

あるがままの自分でいなさい

とOshoは言います。

それが簡単にできるなら、すでにみんなそうしているでしょう。

みんながそうできないには、できない理由があるのです。

それはマインドの機能のみを使っていて、ハートの機能を忘れているからです。

どちらが先で、どちらがあとなのか、卵と鶏の話のようですが、その二つの機能について知っていると、このOshoの言葉はわかりやすくなります。

マインドの機能は、ものごとを評価することです。
評価しないでいることは、マインドにはできません。

評価しないで、あるがままに受け入れる、ということはハートの機能です。

ハートでいることができるようになって、はじめて「評価しないで、あるがままに受け入れる」ことが可能になってきます。

ハートは誰にでもあるものなのですが、現代社会はあまりにもマインドを使うことに慣れてしまっていて、ハートを使うことを忘れてしまっています。

ハートを思い出すこと。

それがハート瞑想です。