Oshoのインドでの交友

インドでのOshoの交友範囲はとても広いものがあります。

政界の人たちとも交友があり、インディラ・ガンジーやその息子のことなども、身近に知っているような形でときおり話に出てきたりするので、よく知っていたように思われます。

ジョティが今回書いている手記では映画界のトップの人たちなどとも交友があったことをうかがわせます。

インドの映画界といえば、アメリカのハリウッドにちなんでボリウッドと言われるほどに映画が盛んで、世界でもっとも映画が製作される国の一つです。

インドの有名な映画俳優でサニヤシンになっている人たちもいるようです。

ハリプラサードというインドのみならず世界的に有名なフルート奏者もOshoの弟子になっていて、プーナのコミューンにも訪れ、その演奏を聞かせてくれたりもしました。

それはともかく、このころのOshoは、このようにあちこちに招待され、休むまもなく移動し、講話をし、質問などに答え、対話をインド各地で精力的に行っていたようです。

それでは「一万人のブッダたちへの百話」より「Oshoのインドでの交友」をお楽しみください。

ジョティは語ります。

「 最近、映画産業界に関わる多くの人たちがOshoに興味を持ち始めています。

カルヤンジ、マヒパール、ヴィジャヤナンド、マヘーシュ・バット、マノージ、インディワルがその代表です。音楽ディレクターをするカルヤンジはその世界では頂点に立っています。

インディワルは映画音楽の作曲家でOshoの教えを曲にすることを望んでいます。
マノージは映画監督としても俳優としても非常に名の知られた人物です。

今日、マノージがOshoをボンベイ郊外の自宅に招待しました。
Oshoはクロス、メイダンで夜の講話を終えた後に、その足で車に乗ってマノージ邸に向かいました。

ちょうど道が渋滞のピークで混み合う時間です。
私は数人の友人たちとマノージ邸に向かう別の車に乗りました。
私たちが乗った車は渋滞に巻き込まれて、しばらくの間身動きが取れず、やっと9時30分までに目的地に到着しました。

それは庭に囲まれた素敵なバンガローでした。
訪問客が静かに入ってこられるように、玄関の門扉は開けっ放しにされています。
その門に立つ警備員が、私たちに挨拶をし、手で行き先を示してくれました。

しばらく歩いていくと、人びとがぎっしりと座っている大きなリビングに出ました。
Oshoはすでに講話を始めています。
それでも私たちに笑顔の挨拶をしました。

私たちは静かに何とか空いている場所に座りました。
Oshoからずいぶんと離れた場所に座った後、私は居心地が悪くなってきました。

Oshoの周りの空いている場所を見たら、どうしてもそこに行ってOshoのすぐそばに座りたくなりました。

躊躇しつつ、行きたい思いがあまりに強いので、理性をはねのけて立ち上がり、何とかOshoが座っているところまで歩いていきました。

そしてOshoから少し離れた場所に腰を下ろしました。
Oshoが私の方を見て微笑みました。
のおかげで緊張がほどけ、くつろぎました。

マノージとマノージの奥さんはOshoに非常に近い場所に座っています。
講話を録音をしている友人もすぐそばに座っています。

それはある種ユニークなミーティングです。
どちらかというと対話のようです。

Oshoは皆から自発的に出されるあらゆるタイプの質問に答えています。
集まった人たちを見渡してみると、映画産業界の馴染みある顔がたくさんありました。

彼らはOshoのことばに耳を傾けながら「ああ、そうなのか」のスペースにいるようです。
誰も時間の経過に気づいていないようです。

ミーティングはどんどん続けられています。
腕時計を見ると11時45分でした。あと15分で真夜中の12時です。

Oshoのことが気がかりです。
すでにクロス・メイダンで2時間も講話をした後に、ここに来てからもう3時間も語り続けているのです。

明朝は8時からチョウパティの近くにあるビルラ・ケドラ・ケンドラで別のミーティングが予定されています。

私はこういった考えに没頭し、我に返ったときには講話が終わって5分が過ぎていました。

静かに人びとが席から立ち上がり、部屋の外に出始めました。
マノージが翌朝チョウパティヘは自分が車を運転して送っていくから、今夜はここで泊ってゆっくり休んで欲しいとOshoに申し出ました。

Oshoはマノージに同意し、私たちに心配しないようにと言いました。

私たちは朝になったらOshoと再会できるようを望みながら、マノージ邸を離れました。」

今日はここまでにします。

えたに