私たちが「神聖なもの」というと、世俗的なことではない、何か特別なことをしなければならないかのように思ってしまいます。
しかし、そうではない、とOshoは語っています。
世俗的なことであっても、ある秘訣を知れば、それは神聖なものにもなりうるのです。
私たちは人生を世俗的なもの
世俗的な行為で満たしてしまった
なぜなら、自分の行なうこと
すべての質を変容できる
簡単な秘訣を私たちが知らないからだ
そして覚えておきなさい
変容の秘訣を知らなければ
あなたは世俗的なものにまぎれて
自分も世俗的になってしまう
自らを神聖にする意識――
あなたが行なうことすべてを
あなたと同じ質のものに変容する意識を持たないかぎりは
そのとき あなたが触れるものは
すべては神聖になる
あなたが行なうことは
すべては神聖になる
「ゴールド•ナゲッツ」 by Osho
世俗的なものであっても、意識を持って行えば、それは神聖なものになるのです。
「意識を持って行う」とは、自分がやっていることに気づきを持って行うということです。
無意識的に、心ここに在らずで物事をやるのではなく、心を込めて、思いやりを持って行えば、それは神聖なものになります。
たとえば、「おはようございます」という挨拶の言葉ひとつのことでも、他のことに気を取られて、相手のことに意識をむけずに、ぶっきらぼうに、不機嫌な声で「おはとう」っていうのと、相手に思いやりをもって、愛する恋人に挨拶するように、こころを込めて「おはよう!」っていうのとでは雲泥の差があります。
気づきを持って、こころを込めて、愛を持っておこなう行為は、すべて神聖なものになるということです。
今日はここまでにします。
えたに