No-Thought for the Day Oshoの言葉
私にとっては、 不服従というのは
大いなる革命だ
それは、どんな状況でも、
完全にノーというのとは違う
それは単に、それをやるかやらないか、
それをやるのが有益なのか
どうなのかを決断する ということだ
自分自身でその責任をとるということだ
Osho
これはニーチェの、らくだ、ライオン、子供を思い出させます。
らくだは服従(YES)のシンボルです。
ライオンは不服従(NO)のジンボルです。
ライオンは思春期の反抗期のようなもので、自我が芽生え、親の言うことには何にでも反抗してノーと言う時期があります。
要するに権威に反抗する時期ですね。 革命なども、そういう意味では、時の権力に反旗を翻すので、不服従ということになります。
しかし不服従というのは、単に何にでも反抗するというのとは違う、とOshoは言っています。
そのときどきの状況に応じて応答する状態のことを言っています。
それはニーチェの3つのタイプで言えば、ライオンではなく、子供の状態がこれに該当します。
その時々の状況に応じて対応し、その判断の責任は自分が負うということ。
それは、その瞬間瞬間により意識的になる、ということを意味します。
人の反応をみていると、最初にイエスと言うタイプと最初にノーというタイプがあるように思われます。
最初の反応がイエスのタイプの人は、必要以上になんでも引き受けてしまって、あとで自分が大変になってしまって後悔することになってしまう傾向があります。
同調しやすい日本人に多いタイプです。
最初の反応がノーのタイプの人は、最初はなんでもノーって言ってしまってから、あとで考えて、ちょっと言い過ぎたかなって思うタイプ。あるいは、後で考えることもせず、自分が正しいと押し通すタイプ。反抗期がそのまま大人になったような、エゴが強いタイプです。
西洋、アメリカなどではこれが普通かもしれません。
あなたはどっちのタイプでしょう?
その時々の状況に意識的に気づいていて、ノーと言う時にはノーと言うことって、日本では結構勇気がいります。
まさに革命。 その一瞬一瞬に気づいていて、その時々の決断が私たちの人生を形づくっていきます。
その決断の集積が今の私たちの人生です。
その自分の人生に責任を負うことがここでは問われます。
今自分が直面している現実は、すべてが自分が招いたものだと言える人が、自分で決断し、自分で責任を負うことのできる人です。その人は革命的な人生を生きていると言えるでしょう。
革命的な人生を送ってきたのか、服従した人生を送ってきたのかが問われますね。
No thought for today.
Have a nice day!
えたに