瞑想のための食事と運動と休息

Oshoは瞑想の準備ということについて、これまで入念に語ってきています。

そして瞑想の準備として、浄化の重要性について語っています。

その浄化には身体の浄化、思考の浄化、感情の浄化があり、それらはすべてエネルギーであり、身体と思考、感情は相互に相関しています。

身体と思考は別のものではなく、身体の状態が思考に影響し、思考のあり方が体にも影響しています。感情についても同様です。

なので、浄化に当たっては、身体と思考を整えることの重要性を語っています。

以上が、これまでの瞑想の準備についての、ちょっとした復習です。

そして今回は身体の浄化に当たって、構成要素として食事だけではなく、運動と休息についても、どのようにすると良いかを語っています。

ここでは菜食については語られてはいませんが、基本的には菜食は瞑想の助けになります。

何を食べているかということは、その人の精神形成にも影響はしています。
それは菜食の動物と肉食の動物を見ていると、その違いがよくわかります。

Oshoは何を食べるべきかとか、何をすべきかという話し方はしませんが、何を食べたらどうなって、何をしたらどうなるのかということの理解を深めるようなことは話しています。

例えば、肉を食べるということについては、肉を食べることが悪いというこというふうに言っているのは聞いたことがありません。

しかし、肉にはその動物が殺される時の恐怖や苦しみの波動がそこには含まれてるというようなことを話しているのは聞いたことがあります。

そういう話を聞くと、お肉を食べるときには、その動物が殺される時の恐怖や苦しみを想像してしまったりしてしまうので、積極的に食べようとは思わなくなります。

最近はローフードが流行っていたりします。
アヌブッダとアナーシャというコンシャスタッチというボディワークを教えている人がいますが、彼らは文字どおりのローフードを食べています。

鎌倉に招待して、彼らのワークをオーガナイズしたことがあるのですが、彼らは近くのスーパーで生野菜を買ってきて食べるだけなので、食事の世話をほとんどしなくて済むのでとても楽です。

そんな彼らにあるとき聞いて見ました。

「生野菜だけで、たんぱく質とか取らなくても大丈夫なの?」って。

すると、アナーシャから「ゴリラを見てごらんなさい」って言われました。

「う〜ん、ゴリラと人間じゃ消化酵素が違うと思うんだけどなぁ」って思いましたが、彼らは健康に生きているわけなので、それでも十分なわけですよね。

もともと1日3食なんて昔の人間は食べていなかっただろうし。昔の日本人は、そもそも肉なんて食べる習慣はなかっただろうし。

そういうことを考えると、食事ということについても、現代人は西洋の栄養学で考えたりしますけれども、それが正しいわけでもありません。

実際はその食事をしてみて、自分の身体がどうなるかを観察してみればいいわけです。
それで身体の調子が良くなって、エネルギーが高まるものであればいいわけです。

人それぞれの住む環境や生活や体質などによって何を食べるといいかは異なってくるだろうし、一概に何がいい悪いは決めることはできません。

ただ、身体の浄化という面からは、自分が何を食べるとどうなるかということも研究してみると面白いテーマです。

食事が身体の健康だけではなく、精神や感情の健康にも影響していたりすることもあります。

感情的にイライラしたり、精神的に落ち込みやすかったりするときには、精神や感情をどうにかしようとする前に、運動したり、食事に注意することもしてみると助けになるでしょう。

Oshoが語っていることは、瞑想の準備だけではなく、日常の精神状態や感情を整えることにもとても有益なものです。

ちょっとした要点のうちの第二点ーー
運動は身体のために絶対に必要だ。

身体を構成するすべての要素は、
運動によって拡大するからだ。

運動は拡大を助ける。
走ると、あらゆる細胞――
身体のあらゆる生きた細胞が拡大する。

それらが拡大すると実に
健康な感じがし、
縮小すると気分が悪くなる。

肺が酸素に満たされ、
二酸化炭素がすっかり吐き出されると、
血圧が上昇して
不純物が清められる。

だからヨーガでは、
身体を清めること、
身体の完全な浄化が、
きわめて重要な必要事項と
考えられている。

だから、いくらか
運動するのはいいことだ。

過度の休息は有害であり、
過度の運動も有害だ。

だからわたしは、
たくさん運動しなさいとは言わない――
過度の運動は不要だ。

決まった運動を少々すれば、
健康な感じがするだろう。

そして休みすぎないこと――
少しだけ休息しなさい――
運動するのと同じだけ休むことだ。

今世紀は、運動と休息の場がない。
わたしたちは奇妙な状況にある――
運動もしないし、休息もしない。

わたしたちが休息と呼ぶものは、
ちっとも休息ではない。

あなたは横になり、
体をあちこち動かしたり、
寝返りを打ったりする――
これは休息ではない。

休息とは長くて深い眠りだ――
全身が眠り、
すべての活動が速度を落とし、
押さえてきたストレスが解放される。

朝起きて爽やかで
健康な気分でないとき、
それはあなたの振る舞いに
影響を及ぼすと思ったことはないかね? 

徹夜をした朝、乞食がやって来ると、
あなたが施しを与える見込みはない。

だが一晩よく眠ったら、
あなたは施しを与えるのを拒否しないだろう。

だから乞食は、朝になると
あなたの扉の前にやって来る。
なぜなら、朝のうちは
何かを貰うのは簡単だが、
夜だとそうはいかないからだ。

これは、まったく理にかなったことだ。
これが、乞食が夜ではなく朝、
物乞いに来る理由だ。

夜は無駄骨だ。
その頃までにあなたはひどく疲れ、
身体はおそらく何もあげたくないような状態にある。
だから彼らは朝やって来る。

太陽は昇り、 あなたは風呂につかり、
家の誰かは祈りを棒げる。
すると乞食が外に立っている。
彼を拒絶するのは非常に難しい。

身体が十分な休息をとると、
それに応じてあなたの振る舞いも変わる。
食事と休息が常に相関関係にあるのはこのためだ。

食事はあなたのライフスタイルに
関わるべきだ。
両方とも純粋であれば、
あなたは自らの生において
途方もなく活気づき、
うちなる世界に入っていくことが容易になる。

運動法を理解する必要があるのと同様に、
いかに休息するかについても理解が必要だ。

休息するためには、
身体をリラックスさせる方法を
知る必要がある。

今晩瞑想をするとき、
あなたはこれを理解するだろう。
瞑想のあとで休息するとき、
あなたは本当に休息しているだろう
。」

Oshoは若い頃はよく走っていたようです。
後ろ向きに走るというようなこともしていたようです。

今日、あなたはどんな運動をしますか?

それでは今日も素敵な1日を。

Have a nice day!

えたに