この世界は恐怖に満ちています。
地震や津波などの自然の脅威は、日本ではいつ起こっても不思議ではないし、鳥ウィルス、エイズ、その他の新しい伝染病もいたるところにあります。
ガンや心臓病、脳卒中などのさまざまな病気や北朝鮮の核や隣国との戦争の危険、誘拐、テロリスト、その他日常生活でもさまざまな危険があります。
「嫌われる勇気」という本がベストセラーになっているぐらいで、人に嫌われることも恐怖ですし、高所恐怖やお化けも怖かったりしますし、ひとそれぞれに、怖いことっていっぱいありますよね。
恐怖を数え上げればきりがありません。
あなたにとっての恐怖のリストって、どんなものがあるのでしょうか?
広大な宇宙の暗闇の中に浮かぶ地球の写真を見たことがあります。
そのような広大な宇宙の中に薄い膜のような空気が存在し、そこに生物が存在するということを考えるだけで怖くなってしまいます。
そしてこの宇宙の中で、いかにこの地球がもろい存在であるのか、私たちがいかに風前の灯火のような存在なのかがわかります。
この広大な宇宙に地球が存在し、その中に私たちの生命が存在しているのは、まさに奇跡としか思われません。
隕石が落ちてくることを考えると夜も眠れない人もいるようですし、温暖化により環境が破壊されているという恐怖や、さまざまな恐怖がメディアによって作り出されています。
それでも、今ここに生きていられるのは奇跡です。
「恐怖とは、あなたが子供のときに無意識に取り上げたものだ」とOshoは語っています。
私たちは「怖がる」ことを子供時代に無意識に植え付けられている、と言ってもいいかもしれません。
そのような恐怖に基づいて世界を見ると、まさに「あなたの一生は真っ暗だ」ということになってしまいます。
そこで、「恐怖を落とすがいい」
とOshoは言うけれど、マインド(頭)にいる限り恐怖を落とすことはできません。
なぜなら、マインドは心配するのがその機能だからです。
心配が極まれば恐怖になります。
マインドにできるのは、せいぜいポジティブシンキングで、恐怖とは別のことを考えるぐらいです。
恐怖にフォーカスするのではなく、愛について考えたり、バラ色の未来を思い描いたり、楽しいことやすばらしい未来について考えること。
なんでもいいから恐怖から目をそらして生きること。
しかしそのように恐怖から目をそらせても、死を避けることはできないし、その恐怖があれば、いずれはその恐怖に直面せざるを得ません。
そこでOshoは次のように語ります。
恐怖に基づいて生きる者は
つねに内側で怯えている
つねに狂気の瀬戸際に立っている
なぜなら生は広大だからだ
そして、あなたがいつも怯えていたら
あらゆる種類の恐怖がそこにある
恐怖の長い一覧を作ってごらん
そうすれば、
これだけ多くの恐怖があるにもかかわらず
自分がまだ生きていることに驚くほかはない
伝染病はいたるところにある
病気、危険、誘拐、テロリストーー
そして、こんなにもはかない生がある
さらに、最後には避けられない死が待っている
あなたの一生は真っ暗だ
恐怖を落とすがいい
恐怖とは、
あなたが子供のときに無意識に取り上げたものだ
今度は意識的にそれを落として成熟しなさい
そのとき
生は成長によって深まりゆく光になることができる
「ゴールド・ナゲッツ」 by Osho
意識的にそれを落として成熟するにはどうすればいいのでしょう?
「意識的に」というのは、
そのことに瞑想しなさいということです。
瞑想するとはマインドを出ることです。
なぜなら、恐怖はマインドの中にあって、マインドを落とさない限り、その恐怖がなくなることはないからです。
マインドを出て、「意識的に」その恐怖を見ることができれば、
つまり、その恐怖に瞑想すれば、その恐怖は実態がないものだとわかるでしょう。
その恐怖はマインドが作り出したものだとわかれば、その恐怖は消えていきます。
成熟するとは、恐怖のマインドに支配されずに、今ここにある生を意識的に生きるということになるでしょう。
本当の危機に直面した時、そこには恐怖もありません。
直ちに、その危機から脱出することをするでしょう。
なぜなら、その危機の前では、マインドで心配している暇はないからです。
そのような危機に直面した時には、冴え渡った意識になります。
そのような「意識」から恐怖を観ることができれば、恐怖を持つことが無意味であることがわかります。
そのとき生は暗闇ではなく、「生は成長によって深まりゆく光になることができる」ようになるでしょう。