あなたの悩みや心配の根本原因を理解するために

いったいどうして人は悩み、心配事でいっぱいなのでしょうか?

悩みや心配事があるのは、自分のまわりの出来事、人間関係や仕事や不景気や世界の出来事に心配事が絶えないためで、悩みを作り出すのは外側に原因がある、というふうに考えていませんか?

でも、同じ出来事であっても、それを心配事にする人と、それをチャレンジと受け取って燃える人とがいます。

それは、その状況の受け取り方次第で、まわりの出来事をどう受け取るかというマインドの使い方しだいです。

それよりも、そもそも、マインドとはどういうふうに働くのかを理解しなければ、マインドを使うことができるようにはなりません。

心配事や悩み事に支配されてしまうのは、マインドに支配されているからです。

それは、マインドがどのように働くのかということを知らないからです。

でも、そのことをマインドで「知って」もどうしようもありません。

なぜなら、「知っている」のはマインドなので、マインドの中でしか行動できない限り、結局はマインドの心配事や悩み事に支配されてしまうのです。

マインドを使うことができるようになるには、マインドを出なければなりません。

マインド以外のスペースを「知る」必要があります。

ここでいう「知る」とはマインドで、頭で知るのではなく、体験として「知る」、体験としてわかることが必要です。

マインドを超えた理解が必要です。

それは「ハート」のスペースを知ることでもいいです。

あるいはここでOshoが語っているノーマインド(無心)を体験することでもいいです。

禅では、この無心を体験することを重視しています。

それはマインドに支配されている世界から離れるためです。

マインドに支配されている限り、マインドのとても制限された視野でしか物事を見ることができず、本当の世界を見ることができなくなってしまうからです。

その本当の世界は、マインドを超えてはじめて知ることができます。

それは、静寂や沈黙の中でのみ知ることができる世界です。

しかし、マインドに支配されている限りは、静寂や沈黙は無意味なことにしか思えません。

なぜなら、それは、そもそもがマインドには理解できない世界だからです。

それはマインドにとっての盲点になっているからです。見ようとしても見えないのです。

瞑想の世界に入るということは、そのマインドの世界を一度出るということです。

それができるようになってはじめて、マインドとは何かが理解できるようになり、マインドを使うことができるようになるのです。

静寂や沈黙という考えに
興味を示す人はいない
それはあなた個人の問題ではなく
人間のマインドそのものの問題だ

なぜなら、静かになること、
沈黙することは

無心(ノーマインド)になる
ことだからだ

マインドは静かにはなれない
それはたえまない思考や
心配ごとを必要とする

マインドは自転車のような
動き方をする

ペダルを踏んでいるあいだは
走りつづける

踏むのをやめれば倒れる

マインドは二輪車――
まさに自転車のようなものだ

そしてあなたの思考は
止むことのないペダルこぎだ

たまに少しでも静かになると
あなたはすぐに不安になる

「なぜ、私は沈黙しているのだろう?」
心配や考えごとを
つくり出すものなら何でもいい

なぜなら,マインドはひとつのあり方―
つまり走ることでしか存在できないからだ

つねに何かを追いかけて走るか
何かから逃げて走るか……

だが、つねに走っている
マインドは「走ること」にある

あなたが停止するやいなや
マインドは消滅する

ゴールド・ナゲッツ」 by Osho

マインド(思考)とノーマインド(無心)を対立したものと考えていると、なかなか無心にはなれず、瞑想できないと思ってしまいがちです。

ハート瞑想では、マインドを持ちながらも、マインド以外のハートに気づくことから、自然と無心の世界へと導かれるので、より瞑想が簡単になります。

マインドではない、ハートの世界を知ることで、より人生は豊かに感じられるようにもなっていきます。