無選択の気づき

今回ご紹介するOshoの言葉は、

「気づき」についての本質的なことですが実際にはなかなかわかりにくい言葉です。というか、なかなか実践するのが難しい。どうしてもマインドが入り込みます。

まだそこまで「気づき」の中にはいられない、っていうのが現状です、私の場合。

どうしても、「心配」してしまうのですよね、マインドは。

<Oshoの言葉>

無選択の気づき

もしあなたが愛と瞑想を通して
死を知るようになれば

しだいにあなたは、生と死は
同じコインの2つの側面である
ことがわかるだろう。

そうなれば、あなたは心配しなくなる。
そうなれば、あなたは選ばない。
そうすれば、あなたは選択なき
気づきの人生を生きる。

そうすれば、すべてが同じだ。

もしあなたが生を選べば、
死を選んだことになる。

死を避ければ、生を避けることになる。
だから、選ぶことに意味はない。
そして、避けることにも意味はない。
             Osho

> 愛と瞑想を通して死を知るようになれば

っていうのは、イミシン(意味深い)です。どうして、愛だけではなく、瞑想だけでもなく、「愛と瞑想」を通してなんだろう?

たぶん、「愛と瞑想」は両翼のつばさで、その二つで一つの「気づき」だからなんでしょう。

マインドの気づきではなく、「愛ある気づき」が「愛と瞑想」ということなんだと思います。

> 生と死は同じコインの2つの側面

これはそう思います。本当に、今をトータル(全面的)に生きることができれば、死のことはどうでもいいって思えますからね。

死の恐怖は、生きていないことの恐怖だって、Oshoは言いますけど、そう思います。

本当に生を生き切った時、その時同時に、死をも生きている感じがします。その瞬間瞬間に、死んでいるというか。。。

>そうすれば、あなたは選択なき気づきの人生を生きる。

> そうすれば、すべてが同じだ。

う〜ん。
やっぱり、同じとは思えない。。。

こっちがいいとか、あっちがいいとか思ってしまうので、やっぱり選ぼうとする自分がいます。

>もしあなたが生を選べば、死を選んだことになる。

> 死を避ければ、生を避けることになる。

まぁ、それはわかりますけど。。。

>だから、選ぶことに意味はない。

> そして、避けることにも意味はない。

それも理屈としてはわかるんですけど、でもやっぱり、そこまで達観できていない自分がいます。

やっぱり選んでしまうマインドがあるし、最悪のケースは避けようとする自分もいます。

でも、最悪のケースがやってきた時には、選ぶこともできないので、腹を括るしかないですね。

今日はここまでにします。

えたに