寂しさへの瞑想シリーズ その21

寂しさへの瞑想シリーズ その21

Oshoの言葉

あなたは
習慣的になりすぎてしまったのだ。

他者という考え方が
あまりに深く染み込んでしまい、

機械的な習慣になってしまった、

だから他人がいなくなると、
あなたは自分が空っぽで、孤独で、
奈落の底に落ちているように感じる。

しかし、もしあなたが
奈落の底に落ちることを許せば、

すぐに奈落が消え、
その奈落とともに
すべての幻想的な執着が

消えてしまっていることに気づくだろう。

そのとき、最大の奇跡が起こる。
あなたはなんの理由もなく、
ただ幸せだ。

            Osho

ここで、ひとりあることの、奇跡の正体が明かされます。

しかし、その奇跡が起こる前には、ある試練が待っています。

あなたは、その奈落の底に落ちなければならないのです。

しかし、それはそんなに簡単なことではありません。その奈落は死なのです。

自我(エゴ)にとっての死です。マインドにとっての死です。

自我エゴは人といることでしか生きられません。

マインドは人といることでしか生きられません。

なぜなら、自我とは、他者によって定義されるからです。

その他者が消えてしまった時、自分が誰だかわからなくなります。

自我は奈落の底に落ちるように感じます。

しかし、その奈落の底に落ちた時、奇跡が起こるとOshoは言っています。

Oshoはその答えを言ってしまいました。

しかし、それはOshoの経験であって、それは自分の経験としてそのことを知る必要があります。

マインドで答えを知っただけでは役に立たない、ということが、この瞑想の難しいところです。

Oshoが悟りを得る前、Osho自身、この奈落の底を体験していたことのことを

語っているのを聞いたことがありますが、

それはここでいうほど簡単ではありません。

しかし、悟りまで行かなくても、

瞑想が進んでいる時には

> あなたはなんの理由もなく、ただ幸せだ。

ということはありませんか?

人間関係のことで悩んでしまったり、世間のさまざまなストレスに巻き込まれてしまうと、

そのスペースは忘れ去られてしまいます。

私たちは外側の幸せを追いかけて、ありとあらゆることに奔走しています。

しかし、実はそんなことをしなくても、

実は、あなたは、もともと幸せでいることもできるのです。

それは私たちの内側に入った時に初めて気づくことです。

今日はここまでとします。

えたに