意識的に振る舞いなさい

Oshoの言葉

意識的に振る舞いなさい

何に対しても気づき始めなさい
無意識的に起きている
日常的なこと

例えば、
怒り、嫉妬、プライドーー
そうすれば、
あなたの意識(気づき)は
深まるだろう。

意識的に振る舞いなさい
日常的な行為についてさえ、
意識的でいなさい

例えばーー
歩く、食べる、話すーー
そうすれば、
あなたの意識(気づき)は
広がるだろう。

考えている時にも、
注意を怠らないように。

どんな考えも、
目撃されずに過ぎ去ることを
許すべきではない。

そうすれば、最後には、爆発がある
その爆発の中で、
あなたは完全に意識的になる

どんな無意識も残すことがない
           Osho

「もっと気づくようになるには、
 もっと気づくようになることだ」

というのが【ZBC】No. 194でご紹介した
Oshoの言葉でした。

そこでは、気づくというのは、
命懸けだということを学びました。

では、どういうことにもっと気づいていけばよいのでしょうか?

今回のOshoの言葉は、そのことについてです。

> 無意識的に起きている日常的なこと
> 例えば、
> 怒り、嫉妬、プライドーー

内面の感情や思考

> 例えばーー
> 歩く、食べる、話すーー

外側での行動や行為

> 考えている時にも、
>注意を怠らないように。

> どんな考えも、
> 目撃されずに過ぎ去ることを
>許すべきではない。

内面的なことや外面的なことに
目撃しているようにとOshoは語っています。

そして、ここからが、
今回のOshoの言葉のキモです。

>そうすれば、最後には、爆発がある
> その爆発の中で、
>あなたは完全に意識的になる

> どんな無意識も残すことがない

日々、すべてのことに気づき、
目撃するように努めること、

その努力の最後には爆発がある、

とOshoはここで語っています。

「芸術は爆発だ」

と言った岡村太郎の有名な言葉がありますが、

瞑想(気づき、目撃)にも爆発があるのです。

その爆発が起こった時には、
その気づきは別次元のものになります。

そのとき気づきは努力のないものとなり、

ただ、そこに気づきがあるようになり、
目撃が自然に起こっているようになる。

そうしたときには、
どんな無意識も背後に残すことはなくなる。

とOshoは語っています。

今日はここまでにします。

えたに