矛盾:独創的な入り口

Oshoの言葉

矛盾:独創的な入り口

私の矛盾は まさしく   
あなたにおきていることを 
意図してのものだ  

私は あなたのマインドが  
私に説得されされるのを
望んではない  

私はあなたのハートと
関わりたい

なぜなら 
それこそが唯一の本当の
交わりだからだ  

マインドとマインドは  
いつも表層的だ
   
私は首尾一貫できるが  
そうすると私は
あなたのマインドを   

説得することになるだろう  

そしてそれは 
私が一番したくないことだ  

私は宣教師ではない  
それに私にはあなたへ 
何のメッセージもない  

私にあるのは体験だけで  
その体験をあなたに伝えるすべは  
言葉を通してではなく  
理論や哲学を通してではない  
争点は答えにあるのではない  

だからまず私は   
あなたのマインドを
取り外さなければならない  

そしてあなたのマインドを
取り外す最適の方法は  

私自身ができるだけ
矛盾することだ  

あなたは頭が
おかしくなってしまうと  

怖くなって逃げ出すか  
根性があればここにとどまって  
本当におかしくなるかだ  

マインドが制御不能になるとき  
それがハートが機能しだす瞬間だ  

あなたは良い状態にある  
もしマインドが『わからない』
というなら  

マインドは閉店するところだ  

そしてここでは
マインドが閉店したら  

すぐにあなたのハートの扉が
開きはじめる  

それらは同じ硬貨の両面だ
                      Osho

今回のOshoの言葉は、

次のような質問に答えたものです。

質問

「あなたの矛盾、嘘、あなたを
信じてはいけないということ

それらは私のマインドを
制御不能にしてしまいました  

そしてマインドが
はっきりと言えるのは  

『わからない』ということだけです。  
私は自分のマインドを
誇っていましたが 

今ではただ馬鹿みたいに感じます」

これはOshoの言葉を聴き続けている人に
必ずと言っていいほど起こることです。

もしこのことが起こらなかったら、
その人はOshoの言葉を聞いていないことになります。

正確にいえば、
マインドで聞いていないことになります。

最初からハートで聞いている人にとっては
このプロセスは必要ないわけですが、

たいていの男性は、
まずこのステップから始まります。

何せOshoは哲学教授であり、
弁論大会での優勝者でもありましたから、

Oshoの話を聞いているうちに、
マインドは矛盾の中で混乱するか、
追い詰められます。

追い詰められるというのは、
これ以上のことは、
マインドではどうしようもない、
という崖っぷちに追い詰められるわけです。

禅では、「百尺竿頭に一歩を進む」
という言葉がありますが、

崖に突き出た百尺(約30メートル)の竿(さお)の先の、
更に一歩先に足を進め
というわけですから、

そこでのマインドの選択肢は二つ。

マインドが崖から飛び降りて自殺するか、
再び元のマインドを維持し続けるか。

マインドが崖っぷちから飛び降りることで、
第二のステップが始まります。

感じることです。
ハートの道です。

マインドがある限り、
本当に感じる、ということができません。

私も感じる、ということができませんでした。

マインド(頭)で感じるのと、
ハートで感じるのとはまた別のことです。

マインドは感じたことを解釈したり
分析し始めますが、
それは感じることにはなってません。

それはともかく、

マインドを後にしてはじめて、
感じる世界、
体験の世界、
ハートの世界へと
旅することになります。

Oshoとのシンクロニシティ、
Osho とのハートの世界が始まります。

自分のハートの中にいる時、
Oshoのハートとのシンクロニシティにあります。

しかしさらに先のステップがある

とOshoは語ります。

ハートを超えるものがあると言うのです。

最初のステップは
考えることから感じることへ

第二のステップは
感じることから在ることへ

それが最後のステップになります。

その存在に行き着いた時、

存在が望む通りのあなたになる。
純粋さ、個性、家にたどり着いたのだ、

とOshoは語ります。

「その存在の中で、
他のすべてでは
伝えることができないものを

伝えることができる。」

このOshoの講話を聞きたい方は、
過去のブログで紹介しています。
https://oejbooks.com/2016/09/18/thinking-feeling-being/

今日はここまでにします。

えたに