寂しさへの瞑想シリーズ その5

寂しさへの瞑想シリーズ その5

Oshoの言葉

このような人は、
全体のポイントを見逃している。

超越瞑想(TM)は、
まったく瞑想ではない。

なぜなら瞑想とは、
単にひとりになって、
何もしないことを意味する。

マントラを唱えることさえしない。
なぜならこれは
マインドのトリックだからだ。

それがマインドが
いつもやってきていることだ。

あなたがひとりで座っているとき、
どれだけのファンタジーが
自分の前に現れるか
見たことがあるかね?ーー

果てしない空想、白昼夢。
あなたがひとりでいるときには、
いつも白昼夢を見はじめる。

何もすることがなく、
退屈に感じるときにはいつも、

ただちにあなたは
白昼夢に逃避してしまう。

           Osho

これはまさに私たちの現状について、
Oshoが語ってくれています。

自分のマインドに気づいた時には、
こういうことがいつも私たちのマインドで起こっています。

瞑想というのは、そういうマインドにはハマらないでいること、
そのマインドに気づいている、ということが大切である、
ということが、ここで語られています。

瞑想し始めるとよく起こることです。

あなたがひとりで座っているとき、
どれだけのファンタジーが
自分の前に現れるか
見たことがあるかね?ーー

果てしない空想、白昼夢。

先日紹介した、マインドに気づく、
というOshoの言葉が思い出されます。

<マインドに気づいていなさい>

マインドに気づくということは、
マインドの目撃者であるということだ。
目撃することがより強くなっていくと、
あなたはすでに、
自分自身がマインドを超えている
と感じはじめる。

ゆっくりと、ゆっくりと
その距離が広がっていく。

あなたの目撃者は、
太陽の光が降り注ぐ山頂に到達し、

マインドは遠く離れた
暗い谷間に取り残される。

あなたはまだ
エコーを聞くことができる、

だが、それはあなたに
全く影響を与えない。

あなたはマインドの
手の届かないところにいる。

            Osho

そうなってはじめて、ひとりで座ることが可能になります。

今日はここまでにします。

えたに