Oshoの言葉
目覚めなさい!
禅は教えでは無い、
なぜなら、それはあなたが
眠っていることを
知っているからだ。
第一の目的は、
あなたに教えることではない。
最初にすることは、
あなたを目覚めさせることだ。
禅は目覚まし時計だ。
真のマスターは、目覚めさせる人だ。
彼の機能は教師とは全く異なる。
彼の機能は、はるかにもっと困難だ。
そしてほんのわずかな人たちだけが
マスターのそばに
とどまることができる。
なぜなら何百万回もの生を経て
目覚めることは、
並大抵のことではないからだ。
それは奇跡だ。
Osho
目覚めることが奇跡だなんて言われると、
いったい「目覚める」ってどういうことなんだろう?
って思います。
>なぜなら何百万回もの生を経て
>目覚めることは、
> 並大抵のことではないからだ。
仏陀をはじめとして、
これまで多くの目覚めた人がいます。
しかし、歴史上、最初に目覚め、
悟りという概念を人類にもたらしたのは
仏陀だといえるでしょう。
禅では、その仏陀の悟りが継承されてきている歴史があります。
西洋では、悟りを表す、エンライトメントというのは
啓蒙という程度の意味で、
それが悟りを表すようになってきたのは最近のことです。
しかし、いわゆる悟りの意識に至ったと
思われる人は、これまで多くの人たちがいます。
その目覚めた人、悟りを得た人から見れば、
実は、すでに私たちは悟っている、
ただ、そのことに気づいていないだけだ、
という言われ方がされたりもします。
そのように言われると、
「なんだ、目覚めるって簡単じゃん、
朝起きる時のように、
ただ目をひらけばいいだけなんでしょ?」
って思ったりもします。
さて、目覚めるって、どういうことなんでしょう?
目覚めるにはどうすればいいのでしょう?
目覚めたら、どうなるのでしょう?
> 第一の目的は、
>あなたに教えることではない。
> 最初にすることは、
>あなたを目覚めさせることだ。
確かに。
居眠りしている人に、教えることはできないですからね。
> 禅は目覚まし時計だ。
なるほどねぇ。
>禅は教えでは無い、
> なぜなら、それは
>あなたが眠っていることを
>知っているからだ。
不立文字、只管打坐、教外別伝。
なるほど。
眠っているものに、教えても無駄だ、
っていうことでもあったのですね。
目覚めるには、まず坐ることだ、
という意味だったんですね。
瞑想がその目覚まし時計ということです。
ということで、今日の目覚めの瞑想:
只管打坐
ただ静かに坐る時間をとりましょう。
今日はここまでとします。
えたに