瞑想的知性

Oshoの言葉

瞑想的知性

通常の人間は14歳で知性の成長を止める
それは生物学上の目的が完了するからだ

14歳でその人は、子供を産むためには
生殖のためには、十分に成熟している
生物学的には、このポイントを超えては
もはや関心がない

これが理由で 平均的人間は
14歳で行きづまる
精神年齢に関するかぎりはそうだ」

「だが彼らの精神年齢は
14歳でとまったままだ
これが現在まで繰り返されてきた
これは変えることができる
そしてこれは変えるべきだ
なぜなら、成長に向けての
無限の潜在可能性があるのだから

だがその変化が起こるのは
あなたに何らかの生物学を超えた目標が
あるときだけだ

もしあなたの人生の関心が
セックス、子供たち、家族、食べ物
家にのみに限られるなら
それならその必要はない
その程度の知性で充分だ

だがもしあなたが
アルバート・アインシュタインのような
関心をもつなら

そのときはあなたの知性は
働きはじめる

ときにはあなたの
肉体さえも追い越す

「知性とは
それを使って
あなたが何をしているかによる

瞑想している人には
知性の最高の高みに到達する
最大の可能性がある

なぜなら 瞑想の中で
その人は人間に為しうるかぎりの
最高の仕事をしているからだ

それは自己を悟ること
「私は誰か」を知ることだ

自分の主観性の
最も深い内側に入っていくこと

それこそが知性にとっての
最大の仕事だ

そのときあなたは算定すらできない
あなたはゴータマ・ブッダの
知性を算定できない

それは計測を超えている
測定を超えている

もしあなたが瞑想者なら
あなたの瞑想が進んでいくにつれて
ますます輝いてくる
あなたの人生の最後の息まで
あなたの知性は成長することになる

それだけではなく 
息を引き取った後でさえ
あなたの知性は成長し続けるだろう
なぜなら あなたは
死にはしないからだ

         Osho

このOshoの言葉は、

「瞑想するとボケませんか?」
という質問に対するOshoの答えです。

私の周りにも、
両親の介護をしている人たちの話を聞いていると
両親がボケてきたということを
よく耳にします。

明日は我が身。
ボケないためにはどうすればいいのか?
というのは他人事ではない問題です。

質問者は、もう少し込み入った質問の仕方をしています。

「知性に必要な細胞には
限られた寿命しかないことを考えると、

その細胞の限界とともに知性も衰え、
ボケるしかないのでしょうか? 

それとも適当な刺激を与えれば
知性は死ぬまで成長して、

ボケないでいられるのでしょうか?」

ここでOshoは、私たちの想像を
はるかに超えることを語りだします。

脳細胞の限界を超えた知性があるというのです。

Oshoはここで、
マインドを超えた知性について語っています。

私たちは知性というと、
マインドの知性しか知りません。

なぜなら、マインドのレベルでしか
生きていないからです。

あるいは、
Oshoが語るところの
生物学のレベルでしか生きていないからです。

私たちの人生の関心が、
セックス、子供たち、家族、食べ物
家になどに限られる場合には、

14歳の精神年齢で十分だと語ります。
14歳の精神年齢のレベルでの知性とは、
肉体的な頭脳の持つ知性、
つまり、いわゆるマインドの知性です。

しかし、そのような
肉体さえも追い越す知性
マインドを超える知性というものがある
というわけです。

その知性は、
何らかの生物学を超えた目標を
持った時に成長すると言います。

それは、ゴータマ・ブッダの知性
とでもいうべきものです。

その知性は、
息を引き取った後でさえ
成長し続けるというのです。

一体それはどんな知性なのか?

それは、
瞑想している人にのみ明かされる知性です。

マインドには想像不可能な知性。

>それは自己を悟ること
> 「私は誰か」を知ることだ
> 自分の主観性の最も深い
>内側に入っていくこと

> それこそが知性にとっての
>最大の仕事だ

これは瞑想的知性とでもいうべきものです。

瞑想をすることは、
このような瞑想的知性を成長させること
といえそうです。

これについてのOshoの動画は
こちらのブログで紹介しています。
https://oejbooks.com/2015/01/13/meditation-and-intelligence/

今日はここまでにします。

えたに