Oshoの第2期プーナの始まりです。
第1期のプーナは1974年からアメリカに渡る1981年までの7年間でした。
アメリカに渡って6年後に、再びもといた彼のプーナのコミューンに戻ってきたのです。
まさに、「Oshoの臨在は磁力のある燃え盛る松明のよう」で、「Oshoがどこにいても真実を探求する者たちが引き寄せられてきます。」
そしてそこではいつも問題になってしまうので、追い出されてしまうのです。
アメリカも追い出され、世界のどの国も受け入れる国はなく、ネパール、ウルグアイ、ギリシャからも追放されるようにして出国することになりました。
そしてワールドツアーから、再び自国のインドに戻っても、ボンベイの地元住人たちの怒りを買って移動せざるを得なくなります。
プーナには、Oshoのもと居たアシュラムがあります。
そこで、Oshoは再びプーナに戻ることになりました。
Oshoがプーナに戻ったと聞いて、私はすぐにプーナに行くことを決めました。
インドに行くのは初めてのことだったので、ビザを取得して、プーナにたどり着いたのは1月の半ば過ぎでした。
プーナのアシュラムにたどり着いて、そこで会った日本人に言われたのは、「一昨日までOshoは話していたんだけど、昨日から講話は休んでいるよ」。
「でもまたすぐ講話を始めると思うよ」とのことだったので、毎日、今日はOshoに会えるかと心待ちにしていたのですが、1週間経ってもOshoは現れなかったのでした。
結局会えずに、後ろ髪を引かれる思いで帰国することになったのでした。
そしてプーナを離れて数日経って、再びOshoが講話を再開した、と聞いたのでした。
それが悔しくて、その夏1ヶ月プーナに行くことになったのですが、その時にはほとんど毎日Oshoをすぐ身近に見ながら講話を聞くことができました。
そのときに私の人生が大きく変わることになったのです。
人生何が幸いするかはわからないものです。
それでは、「一万人のブッダたちへの百話」より、「Osho再びプーナに戻る」をお楽しみください。
ジョティは語ります。
「 Oshoは身体の調子を崩し、数日間講話を中止しなくてはなりません。
その間にOshoのための新しい場所を探そうと数人のボンベイのサニヤシンたちが動き始めました。
Oshoの臨在は磁力のある燃え盛る松明のようです。Oshoがどこにいても真実を探求する者たちが引き寄せられてきます。
西洋から到着するサニヤシンの数が日ごとに増えています。Oshoがグストとしてスミラで滞在し始めてから5カ月ほどになり、Oshoの臨在と増加する来訪者の流れに対する地元住人たちの怒りが一層ひどくなってきています。
ある夜、Oshoが2、3日のうちにプーナに向けて発つと知らされました。私たちはさっそく荷物をまとめ、Oshoと一緒にプーナに行くことを喜びました。
1987年1月2日の早朝、Oshoはプーナに戻りました。そして2、3日の休息を取った後、朝と夜の講話をチャン・ツー・オーディトリアムで始めました。
Oshoは身体の調子がかなり良さそうです。声にはあの初期のころの燃え盛る火のような響きがあります。」
今日はここまでにします。
えたに